紀南地方の大鰻に関する文献とは? わかりやすく解説

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紀南地方の大鰻に関する文献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 03:11 UTC 版)

富田川のオオウナギ生息地」の記事における「紀南地方の大鰻に関する文献」の解説

富田川のオオウナギ生息地濁り淵) 和歌山市 富田川のオオウナギ生息地濁り淵)の位置 富田川流域紀南地方呼ばれる紀伊半島南部一帯は、富田川以外にもオオウナギ生息する河川があることが昔から知られており、中でも和歌山県南東部流れ古座川生息するオオウナギには多く記録文献残されている。 1689年元禄2年)に書かれた『熊野獨参記』(くまのどくさんき)の古座記述中にある、 此川大ナル多シ 他国ニ類ナシト伝。…… 『熊野獨参記』 古座 この一節が、紀南地方でのオオウナギ記した最も古いものと考えられており、その後紀州藩本草学者である小原洞(おはらとうどう)が江戸時代後期書いた譜』の記述では、 大ウナギ 熊野古座相瀬ニアリ 長六七尺圍二尺斗アリ…… 『譜』 小原このように具体的な大きさ記されており、その当時全長1.8 - 2.1メートル胴回り60センチほどの大型個体生息していた様子がわかる。 また、小原弟子である畔田翠山が、1827年文政10年)に記した水族誌』では次のように記されている。 紀州古座川熊野船津村ニ「大ウナギアリ 共ニ廻リ尺餘長サ六尺圍二尺斗アリ…… 『水族誌』 畔田翠山 さらに、津藩藩士朱子学者斉藤拙堂が、紀伊半島一周した紀行記録をまとめた1860年万延元年)の『南遊志』の中でも古座川流域巨大なウナギが網で捕獲される様子聞いた内容記されており、古座川周辺オオウナギ古くより知られていたと考えられている。 その一方で富田川オオウナギに関する江戸期記録見られず、記録として現れ始めるのは明治期入ってからで、1889年明治22年8月発生した大水害による激し水流により、富田川下流域複数の深い淵が作られたことでオオウナギ生息し始めた考えられている。明治から大正当時オオウナギ巨体群れ川岸から見ることができ、昭和始め頃まで富田川下流域ではオオウナギ多数生息していたという。

※この「紀南地方の大鰻に関する文献」の解説は、「富田川のオオウナギ生息地」の解説の一部です。
「紀南地方の大鰻に関する文献」を含む「富田川のオオウナギ生息地」の記事については、「富田川のオオウナギ生息地」の概要を参照ください。

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