有史以前のルーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 16:43 UTC 版)
はじめ、バルト氷湖 (Baltic ice lake)がエストニアから退いた直後の約1万年前にエストニアの地において人が居住した。最初の居住者が話していた言語について定かではないが、多くの場合、近代エストニアに関連した初期ウラル諸語を話す人々が、約5000年前に現在のエストニアあたりに到着したと主張している。ヨーロッパにおいて約5000年以上も同じ地域に住んでいた最も古く半永続的に居住していたエストニア人の祖先とみなされる。一方、最近のいくつかの言語学的推定によれば、おそらくフィン・ウゴル語派がかなり後の初期青銅器時代(紀元前約1800年頃)の間においてバルト海周辺へとたどり着いたことを示唆している。 "Eesti"あるいはEstoniaの名は北東ヴィスワ川に居住していたバルト人に古代ゲルマン人が与えた名前Aestiiに由来すると考えられている。 紀元98年にローマの歴史家タキトゥスは"Aestii"族について最初に言及した、そして、初期スカンディナヴィア人は("Eistland"はアイスランド語で現在のエストニアを意味する単語である)、フィンランド湾の南の地を"Eistland"、そして、人々を"eistr"と呼んでいた。原始エストニア(同様に他のフィン諸語の話者)は、古東スラヴ語の年代記においてChuds (чудь) と呼ばれていた。 エストニア語はフィンランド語と同様にウラル語族のバルト・フィン諸語に属している。エストニア語で書かれた最も古く知られている1例が13世紀の年代記、一方、1525年にエストニア語で最初に書籍を印刷した。
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