日本の代表的陣形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 10:19 UTC 版)
日本では中国の八陣図が古くから知られ、平安時代に大江維時により魚鱗、鶴翼、雁行、彎月(偃月)、鋒矢、衡軛、長蛇、方円という和名が作られた。古代中国の八陣については風后により作られ孫子や呉起、諸葛孔明などに利用されたと多くの史料が伝承しているものの、その実体は明らかでなく、後世の史家や兵家、好事家らが想像し推測したものが残されているのみである。また意味する内容が戦術なのか構築陣地の建設法なのか、軍団の配備なのか要塞群の配置なのか明確にできない点がある。 「日本の陣形史」を参照 横陣(おうじん) 部隊を横一列に並べる。もっとも基本的な陣形。大陸平野での横陣同士の会戦はもっとも遊軍が少ないが、縦隊で戦線突破されれば左右の伝令が分断され個別撃破されやすい。また局所に攻撃が集中すれば他の戦列すべてが遊軍となる。一般には馬防柵や塹壕、防塁などの地形を利用する。 魚鱗(ぎょりん) 中心が前方に張り出し両翼が後退した陣形。「△」の形に兵を配する。底辺の中心に大将を配置して、そちらを後ろ側として敵に対する。戦端が狭く遊軍が多くなり、また後方からの奇襲を想定しないため駆動の多い大陸平野の会戦には適さないが、山岳や森林、河川などの地形要素が多い日本では戦国時代によく使われた。全兵力を完全に一枚の密集陣に編集するのではなく、数百人単位の横隊(密集陣)を単位として編集することで、個別の駆動性を維持したまま全体としての堅牢性を確保することから魚燐(うろこ)と呼ばれる。 多くの兵が散らずに局部の戦闘に参加し、また一陣が壊滅しても次陣がすぐに繰り出せるため消耗戦に強い。一方で横隊を要素とした集合のため、両側面や後方から攻撃を受けると混乱が生じやすく弱い。また包囲されやすく、複数の敵に囲まれた状態のときには用いない。特に敵より少数兵力の場合正面突破に有効である。対陣のさいに前方からの防衛に強いだけでなく、部隊間での情報伝達が比較的容易なので駆動にも適する。 実戦では、武田信玄が三方ヶ原の戦いに於いてこの陣形で徳川家康と戦闘し、これを討ち破っている。家康は後の関ヶ原の戦いで西軍の鶴翼に魚鱗をもって対峙した。 鶴翼(かくよく) 両翼を前方に張り出し、「V」の形を取る陣形。魚鱗の陣と並んで非常によく使われた陣形である。中心に大将を配置し、敵が両翼の間に入ってくると同時にそれを閉じることで包囲・殲滅するのが目的。ただし、敵にとっては中心に守備が少なく大将を攻めやすいため、両翼の部隊が包囲するまで中軍が持ち堪えなくてはならないというリスクも孕んでいる。そこで中央部本陣を厚くし、Y字型に編成する型がある。完勝するか完敗するかの極端な結果になりやすいため、相手より兵数で劣っているときには通常用いられない。こちらの隙も多く、相手が小兵力でも複数の方向から攻めてくる恐れのある場合には不利になる。部隊間の情報伝達が比較的取りにくいため、予定外の状況への柔軟な対応には適さない。 実戦では、徳川家康が三方ヶ原の戦いにおいてこの陣形で武田信玄と戦闘し、惨敗している。第四次川中島の戦いでは、車掛の陣形で襲い掛かる上杉謙信の軍勢を、武田信玄の本隊は鶴翼の陣形で、別働隊が帰ってくるまでの間を凌いだ。 偃月(えんげつ) 鶴翼とは反対に中軍が前にでて両翼を下げた「Λ」の形に配置する。大将が先頭となって敵に切り込むため士気も高く、また馬回りの精鋭が開幕から戦うので攻撃力も高い。しかしそれだけ大将が戦死する可能性も高い。また大将の付近が常に戦闘中になるため両翼へ指示を出す余裕がなくなることも多い。敵の横隊を精鋭で突破し戦列を分断するなど陣形の駆動を前提としており、小規模な部隊や練度の低い部隊を指揮するときに用いられる。 鋒矢(ほうし) 「↑」の形に兵を配する。矢印の後部に大将を配置し、そちらを後ろ側として敵に対する。長所と短所、どちらも魚鱗の陣をより特化した物である。強力な突破力を持つ反面、一度側面に回られ、包囲されると非常に脆い。縦横あらゆる偵察から兵を多く見せることができ、敵より寡兵である場合、正面突破に有効である。陣形全体が前方に突出し、主戦場が本陣(司令部)よりつねに前方を駆けてゆくため、柔軟な駆動にはまったく適さない。また、陣の前方が重厚な敵部隊陣形により阻止されれば後方の部隊は遊兵となり、前方部隊の壊滅による兵の逃走が同士討ちなどの混乱をもたらす危険もある。先頭は非常に危険であり勇猛かつ冷静な部隊長が必須であるとされる。 実戦では島津家の軍(大将複数)が関ヶ原の戦いにおいて退却時にこの陣形で井伊直政、本多忠勝、松平忠吉と戦闘し、忠勝を落馬させ直政と忠吉を負傷させて、退却に成功している。 方円(ほうえん) 大将を中心として円を描くように兵で囲む陣形。全方位からの敵の奇襲に対処できる防御的な陣形。移動には適しておらず迎え撃つ形となる。人数が拡散するため、局所的な攻撃に長時間対応するには適しておらず、攻撃を受けた場合には直ぐに別の陣形に移して戦闘する必要がある。こちらから攻撃する場合には用いない。 長蛇(ちょうだ) 兵を隊ごとにほぼ一列に並べる陣形。縦方向に敵陣を突破する場合には、非常に有力な陣形である。ただし横方向からの攻撃に全く対応できないため、谷などの特殊な地形でのみ用いる。敵が正面以外の位置にいるときには攻撃を避けられてしまうので不利である。意図してこの陣形を構えるのではなく、地形的理由などでやむなくこの形になったと言う方が適切である。 衡軛(こうやく) 段違いにした二列縦隊。敵の動きを拘束し、包囲殲滅することを目的とした。山岳戦などで用いられた。 雁行(がんこう) 長蛇の場合よりも横幅を太くした列にし、少しずつ隊を斜めにした格好で構えた陣形。列の真中あたりに大将を配置することが多いが、敵の位置による。この場合は縦方向に相手に突撃することはなく、味方の後詰があるときにのみ先鋒部隊が用いる。後詰が休息しているときに、即戦力として敵と対峙する役目もある。消耗戦に弱く、長時間の戦闘では不利となる。 車掛(くるまかり、くるまがかりとも) 先に出撃した部隊が後退し、替わりに新手が出撃するという、次々に部隊ごとに攻めては退く戦法ないし陣形。越後でよく採用された陣形で、寒い冬季における合戦の際、移動し続けることで兵士の体を温める必要性から生まれたという。大将を中心に、その周囲を各部隊が円陣を組み、車輪が回転するように入れ代わり立ち代わり各部隊が攻めては退く、というのが有力説。ただし江戸時代の創作とも言われる。
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