【日向】(ひゅうが)
大日本帝国海軍・超ド級戦艦「日向」。
「伊勢」級戦艦の2番艦として大正時代に計画・建造された。
この時代、日本海軍は「金剛」級超ド級巡洋戦艦と「扶桑」級超ド級戦艦各4隻を組み合わせた主力艦隊の整備を計画していたが、当時の日本の造艦技術では、急速に進む造艦技術の進歩に充分ついていけない――「扶桑」でさえ旧式化する危惧があった。
そこで「扶桑」級の3・4番艦として予定されていた新戦艦は設計を一部変更し、新しい型の戦艦として就役した。これが「伊勢」と本艦である。
しかし、ベースとなった設計が第一次世界大戦前のものだったため、その能力は必ずしも満足出来るものではなく、就役後もたびたび改良が加えられてきた。
太平洋戦争開戦時は、僚艦の「伊勢」、先に就役していた準同型艦の「扶桑」「山城」と共に第一艦隊第二戦隊(司令官:高須四郎中将)を構成し、その旗艦を勤めていたが、航空主兵主義の発達により、航空母艦に随伴出来ない速力の遅さ(巡航14ノット)と対空装備の脆弱さが嫌気され、これという出番がなく過ごしていた。
ところが、1942年のミッドウェー海戦で、連合艦隊は攻撃力の主軸をなす主力空母4隻(「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」)を一度に失うという大敗を喫してしまい、その補充として、あまり使い道のなかった戦艦を空母へ改装することが考えられた。
この時は、「大和」「武蔵」を除く全ての戦艦が改造候補になっていたが、たまたま本艦が1942年5月、伊予灘での訓練中に後部第5主砲塔を爆発事故で破損していたため、僚艦の「伊勢」と共に改装の第一陣として選定された。
当初の計画では、主砲・艦橋などの上部構造物を全て取り払い、全通式飛行甲板を張って純然たる空母にすることも検討されていたが、時間と費用のかねあいから、6基あった主砲塔のうち後部の第5・第6砲塔2基のみを撤去して飛行甲板と格納庫を設け、戦艦の砲撃力と空母の航空機搭載能力を兼ね備えた航空戦艦として再デビューすることになった。
しかし、今度は搭載する艦載機の開発・調達が間に合わず、実戦で航空機を搭載して出撃する機会はついになかった。
艦上爆撃機「彗星」のカタパルト発進可能なモデル「彗星二二型(D4Y2改)」を搭載する計画だったが開発が間に合わず、新規に水上爆撃機「瑞雲」を開発して配備する計画へと変更された。
しかし、これすらも作戦に必要な数を揃えられなかったのである。
1944年10月のレイテ沖海戦を僚艦「伊勢」と共に生き延びた本艦は、翌年春、航空機格納庫に南方の戦略物資を満載して日本本土へ運び込む強行輸送作戦「北号作戦」で全艦損害なしという奇跡的な成功を収めたのを最後に、燃料不足のため行動不能となって呉軍港に繋留され、7月の呉軍港空襲で米空母艦載機の波状攻撃を受けて大破着底したまま終戦を迎えた。
スペックデータ
日向と同じ種類の言葉
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