新町地区_(徳島市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 新町地区_(徳島市)の意味・解説 

新町地区 (徳島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 10:25 UTC 版)

新町地区(しんまちちく)は、徳島県徳島市中心街南西部に位置する行政上の地区である。


  1. ^ 新町・内町地区”. 徳島市. 2023年9月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603
  3. ^ 全国かわまちづくりMAP”. 国土交通省. 2023年8月16日閲覧。


「新町地区 (徳島市)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「新町地区_(徳島市)」の関連用語





5
50% |||||





10
アミコビルオープン、再開発頓挫、丸新閉店アミコビルオープン後は人の流れが変わり、東新町よりも徳島駅前の方が賑わう様になり始めた。1985年には、これまで新町地区が圧倒的に上回っていた年間小売販売額を内町地区に初めて抜かれ、その後は現在に至るまで差が開く一方になった。丸新は、店舗面積が3倍以上あるそごうの圧倒的な品揃えに太刀打ちできず、また、これまで毎年丸新で行われていた催事をそごうに奪われるなど苦境に立たされた。西武百貨店の支援を受けて店舗の改装を行ったが、バブル景気の一時期を除いて売上は下がり続け、県内各地の出張所を閉鎖するなど事業縮小を余儀なくされた。頼みの再開発計画は、バブル景気只中の1988年に準備組合が設立したものの、その数年後のバブル崩壊と不況により停滞、1993年には西武百貨店が事業からの撤退を決めたため、事実上頓挫し、しんまちボードウォークの建設と、アーケードの改築が施されるにとどまった。同年、JR四国最大の駅ビルである徳島駅ビルが開業し、内町地区への客の流出はさらに加速、1995年3月、ついに丸新は閉店に追い込まれた。後継テナントはなく、敷地は阿波銀行が取得し、東新町商店街に面した丸新本館は取り壊されて広場になり、新館は阿波銀プラザとして残った。なお、丸新自体は倒産したわけではなく、負債を残すこともなかった。丸新は徳島飛行場の売店「丸新空港店」で、現在も営業を行なっている。丸新閉店後
34% |||||

新町地区_(徳島市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



新町地区_(徳島市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの新町地区 (徳島市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS