東新町_(徳島市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 東新町_(徳島市)の意味・解説 

東新町 (徳島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:31 UTC 版)

日本 > 四国地方 > 徳島県 > 徳島市 > 東新町
東新町
日本
都道府県 徳島県
市町村 徳島市
地区 新町地区
人口
(2010年(平成22年)1月徳島市の調査より
 • 合計 284人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
770-0912

東新町(ひがししんまち)は、徳島県徳島市町名。新町地区に属している。東新町一丁目から東新町二丁目まで存在する。郵便番号は〒770-0912。

  • 人口:284人(2010年1月。徳島市の調査より)
  • 世帯数:134世帯(同上)

地理

徳島市の東部に位置し、東は東船場町、西は南新町、北は新町橋、南は銀座に隣接する。

徳島県有数のショッピング街で、中央には東新町商店街がある。かつては丸新百貨店やダイエー徳島店が存在した[1]

歴史

1585年(天正13年)に入国した徳島藩祖・蜂須賀家政が、町人を相手にする商人を集めて新町を造ったのが始まりで、1630年(寛永7年)ごろには内町と並ぶ徳島位置の商店街として栄えていた[2]

江戸時代から現在の町名で、1942年(昭和17年)からは一丁目から三丁目、1975年(昭和50年)からは一丁目から二丁目がある。江戸期は徳島城下の町人町のひとつで、1889年(明治22年)に徳島市の町名となった。

当町北端を東に船場町に抜け、新町橋を渡ると内町で、江戸期には豪商・問屋が軒を並べていた。しかし江戸期初頭に、内町だけは城下の商業的機能が十分に果たせなくなり、新町に商業地区を拡張し、当町等が成立した。北は西新町、西から南にかけて古物町・籠屋町富田町が並ぶ。

1970年代が全盛期とされ、1974年(昭和49年)には休日の歩行者数が約4万人を数えていた[2]

しかし、1983年(昭和58年)に当地区の核店舗となっていた丸新百貨店の約2.5倍の規模で徳島駅前に徳島そごうが進出したことから丸新百貨店と当商店街の衰退が始まり、1995年(平成7年)3月21日に丸新百貨店が、2005年(平成17年)にダイエー徳島店が閉店して核となる大型店が無くなり、2006年(平成18年)には映画館も無くなるなど集客施設が相次いで消失したことで衰退が決定的になった[1]

施設

アーケード北端部
アーケード南端部
かつて存在した施設

など

交通

道路

一般国道

脚注

  1. ^ a b c d 谷野圭助 (2011年5月4日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(3)丸新閉店 流通戦争の渦の中で”. 徳島新聞(徳島新聞社)
  2. ^ a b 谷野圭助 (2011年5月1日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(1)商都 歳月重ね変わる風景”. 徳島新聞(徳島新聞社)
  3. ^ 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
  4. ^ “ダイエー、9店舗を追加閉鎖”. 建設通信新聞 (日刊建設通信新聞社). (2005年9月28日)

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東新町_(徳島市)」の関連用語

東新町_(徳島市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東新町_(徳島市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東新町 (徳島市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS