再開発構想と内町地区のアミコビル開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/04 01:02 UTC 版)
「新町地区 (徳島市)」の記事における「再開発構想と内町地区のアミコビル開業」の解説
しかし、昭和40年代には、モータリーゼーションや郊外店の増加による新町地区を中心としてきた徳島市の商業環境の崩壊が懸念され始め、郊外店への対抗と、さらなる発展のために地区の再開発を求める声があがり始めた。 1972年(昭和47年)に徳島商工会議所がまとめた「徳島商業近代化計画」で、中心市街地を駅前地区と新町地区の、2つの核として整備、競合させることにより発展させるといういわゆる「2眼レフ構想」が発表され、これを契機として、徳島市や地元商店街、丸新などが主体となり、新町の核をつくることを目的として「新町ペンタゴン再開発計画」が持ち上がった。「ペンタゴン」は新町橋通り、大工町、紺屋町シンボルロード、両国橋南商店街と、新町川南岸(現在のしんまちボードウォーク)に囲まれた5角形の区域(東新町、籠屋町、銀座商店街は全て区域内に収まる。)であり、新町地区の繁華街のほぼ全域に相当する。ここを一挙に再開発することで、丸新の拡張、新しいショッピングロード、映画館、大手ホテル、マンション、飲食店街、公園、立体駐車場などの整備を一気に実現させようというものであった。
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