中徳島町とは? わかりやすく解説

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中徳島町

読み方:ナカトクシマチョウ(nakatokushimachou)

所在 徳島県徳島市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒770-0853  徳島県徳島市中徳島町

中徳島町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/15 06:58 UTC 版)

日本 > 徳島県 > 徳島市 > 中徳島町
中徳島町
中徳島町
北緯34度4分21.3秒 東経134度33分39.3秒 / 北緯34.072583度 東経134.560917度 / 34.072583; 134.560917
日本
都道府県 徳島県
市町村 徳島市
地域 内町地区
人口
2025年令和7年)1月
 • 合計 362人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
770-0853

中徳島町(なかとくしまちょう)は、徳島県徳島市町名内町地区に属している。中徳島町一丁目と中徳島町二丁目があり、北から1~2丁目が並ぶ。2025年1月の徳島市の調査による人口は362人、世帯数は199世帯。郵便番号は〒770-0853。

地理

徳島市及びひょうたん島の北東部に位置し、北は助任川を挟んで南常三島町一丁目、南は徳島本町、西は徳島町に接している。徳住橋住吉一丁目と結ぶ。

徳島県立城東高等学校等の施設があり、その他は閑静な住宅地となっていて、文教地区を形成する。

西境を国道11号が通り、県下でも有数の自動車の交通量が多い道路である。

河川

歴史

江戸時代には重臣の屋敷が並ぶ武家地だった。助任橋(明治初めまでは今の助任新橋の位置にあった)のたもとには藩の会所(集会所)があり、そこから南へ伸びる道(現 国道11号の城東高校まで)とその両側の町は会所丁と呼ばれた。助任川河岸は北浜と呼ばれ、並木があった(一部が現存)。

明治には徳島本町新蔵町と共に徳島町の一部で、字は会所町・裏町・本丁北の一部だった。おおよそ、現1丁目が会所町・裏町、2丁目が本丁北部分にあたる。

1902年4月15日、蜂須賀駿河屋敷跡(現 城東高校)に、県立徳島高等女学校(のちの城東高校)に併設して徳島県師範学校女子部が開校した。

1941年、北徳島町・徳島本町・新蔵町・中洲町と共に徳島町から分離され、現在の町名となった。1975年に北徳島町の一部を編入し、中徳島町の一部が徳島町となった。

1957年11月1日、徳島市立動物園(現 とくしま動物園)が開園したが、1997年12月28日閉園。埋蔵文化財発掘調査ののち徳島文化公園となった。

小中学校の学区

公立小中学校の学区は、全域で、内町小学校徳島中学校である。

施設

公園

企業

教育

かつて存在した施設

交通

道路

参考文献

外部リンク

座標: 北緯34度4分21.3秒 東経134度33分39.3秒 / 北緯34.072583度 東経134.560917度 / 34.072583; 134.560917



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