戦後50年
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1995年8月15日、村山富市首相は「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と村山談話で謝罪すると、中国政府は「日本政府による謝罪と自己批判を肯定するが、一部の日本人は戦争を美化している」とコメントした。その一ヶ月後の9月18日抗日戦争50周年記念大会が開かれ、「不忘国恥」キャンペーン運動は最高潮を迎え、九・一八歴史博物館や抗日戦争博物館の拡大が宣言され、「愛国主義教育の基地」とされた。これらの博物館では、日本が侵略して、平頂山事件では中国人を機関銃で虐殺し、全ての村で子供を含めて虐殺した、南京大虐殺では中国人は生き埋めにされ、731部隊では人体実験の材料とされたことなどが展示されている。 1995年には訪韓した江沢民国家主席(党総書記)は金泳三大統領と、過去の日本の侵略を非難し、日本の軍国主義は中韓にとって脅威と表明した。また日本国内や海外では慰安婦問題キャンペーン活動が活発化していった。1995年には作家ビンストックの『天国の木』やポール・ウエストの『オレンジミストのテント』などの南京事件や当時の南京を舞台にした小説が発表された。 1996年4月の日米安保共同宣言に対して中国は、日本の軍国主義化を非難した。江崎道朗は中国は、アメリカの対日世論を悪化させて日米分断を図ったとする。5月10日には米下院議会で元米兵捕虜と南京事件や韓国人慰安婦等の犠牲者に対する基金を要求する法案(ドーナン法案)が提出された。またジェイムズ・インとヤング・シ共著『レイプ・オブ・南京写真集 否定できない歴史 (The Rape of Nanking An Undeniable History in Photographs)』が刊行された。この写真集はアイリス・チャンが読んだ。12月にはスタンフォード大学、ホロコースト博物館、ボストン大学で日本軍の残虐行為についてのシンポジウムが開催され、12月12日には南京受難連合とアイリス・チャンがジョン・ラーベの日記が発見されたとニューヨークで記者会見をした。ラーベの遺族が公開を渋ったが、南京受難連合会長で南京出身の邵子平(Shao Tzping)は説得に成功した。邵子平はマギーフィルムの第一発見者でもあった。 1997年、中国政府は米義勇軍フライングタイガース記念館を建設すると計画を発表、米国人の元隊員たちを英雄として讃えた。また10月26日、江沢民国家主席(党総書記)はハワイの真珠湾で、米中は日本と戦った同盟国と語った。1997年11月、親中派のルパート・マードック系列のベーシック・ブックス社から、アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』が発刊された。チャンの著作はベストセラーとなり、歴史家スティーブン・アンブローズは「若手では最高の歴史家である」と絶賛したり、ヒラリー・クリントンはチャンをホワイトハウスに招聘するなど、チャンは一躍セレブリティとなった。1997年11月、プリンストン大学で「南京一九三七国際会議」、12月には南京事件調査研究会、中国帰還者連絡会、ノーモア南京の会、歴史教育協議会、日本の戦争責任資料センターが「南京大虐殺六十年東京国際シンポジウム」を、台北の国立政治大学でも反李登輝勢力によって開催された。1997年にはウィリアム・ビル・リピンスキー民主党議員が、南京大虐殺や731部隊、朝鮮人慰安婦、バターン死の行進の犠牲者のための謝罪賠償請求法案を提出した。ロイ・ブルックスは非人道的な扱いによる苦痛は計り知れない、現在は「謝罪の時代なのである」とした。ロス・H・マンローによれば、中国政府は、米中ロによる多国間条約によって日本の軍事大国化を永久に封じようとしている。 抗日戦争史実維護会などの団体は米国の元捕虜団体と連携し、日系議員マイク・ホンダや米連邦政府に圧力をかけて、1999年8月24日にカリフォルニア州で対日賠償決議が採択された。ホンダ議員は、日本に謝罪させる運動は「正義の運動」であり、日本の謝罪は和解と成熟をもたらすと述べた。 これまでに訪中した丹羽春喜、稲葉大和、亀岡高夫、三岡徤次郎らが30万虐殺は事実ではないと中国側に抗議すると、中国軍高官から日本社会党の田邊誠委員長から言ってきている、との回答を得てきていたため、阿羅健一が1999年11月28日と12月7日に田邊誠にインタビューすると、田邊は「パールハーバー五十周年のさいに日本の反省を述べたことはあるが、南京事件については知らないので、中国に対して南京事件について言ったことはない」、盧溝橋の抗日戦争記念館の展示について田邊議員から言ってきたとの中国側の答弁に対しては、「展示館に行ったとき署名はしたがそれだけで、歴史は詳しくないのでそういう発言はしていない。(略)私が朝鮮や中国と関係があったので、そう言うのではないか」と述べた。中国は30万説への疑問にまともな反論をせず、追及されると日本の記者や政治家からの要請だと答えてきたが、前述のように田邊誠は何も言っていないと証言しており、中国高官は事件を事実と見なしていないのではないかと、阿羅健一は論じている。
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