ジョン・ラーベ
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ジョン[1]・ハインリヒ・デトレフ・ラーベ(John Heinrich Detlef Rabe, 1882年11月23日 - 1950年1月5日)は、ドイツ人商社員。シーメンス社の中国駐在員(のち中国支社総責任者)として約30年に渡って中国に滞在し、日中戦争の南京攻略戦時には民間人の保護活動に尽力した。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)南京支部副支部長。南京安全区国際委員会委員長。
- ^ ドイツ語の発音ではヨーンのほうが近いが、英語読みである「ジョン」の表記が一般的である。なぜなら「ラーベが生まれた港町ハンブルクでは、当時英語名のこの名前がドイツ人にもしばしば命名され、発音も英語であったためである」とラーベの長女が梶村太一郎に証言している。
- ^ a b c d 梶村太一郎「ゆがめられたラーベの人物像」『週刊金曜日』、1997.12.5号。
- ^ 原著P.344
- ^ 『朝日新聞』1997年10月8日記事
- ^ “抗日戦争とナチス・ドイツ”. 東京大学社会科学研究所. 2022年1月29日閲覧。
- ^ 『月刊日本』1998年1月号、55ページ。
- ^ William C. Kirby, Germany and Republican China, Stanford University Press (1984)ほか。読売新聞「20世紀取材班・20世紀欧州大戦」中公文庫も参照
- ^ 『ナチズム極東戦略――日独防共協定を巡る諜報戦』(講談社)ほか。また田嶋による関係文献については[1]を参照。読売新聞「20世紀取材班・20世紀欧州大戦」中公文庫も参照
- 1 ジョン・ラーベとは
- 2 ジョン・ラーベの概要
- 3 中国国民党との関わり
- 4 死後の顕彰
- 5 脚注
固有名詞の分類
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