ミニー・ヴォートリン
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ウィルヘルミナ(ミニー)・ヴォートリン(1886年9月27日 - 1941年5月14日)は、アメリカ人の宣教師。1919年より中国・南京の金陵女子大学で教師・教務主任を務めた。1937年、日中戦争初期の南京攻略戦の際に南京安全区の設営に関わり、同区内にあった金陵女子文理学院で多数の女性や子供の難民を保護した。第二次上海事変が始まる直前の1937年8月12日から1940年4月14日まで、南京での様子を日記に残している[注 1][1]。
注釈
- ^ イェール大学神学図書館にThe Nanking Massacre Projectのページが開設されており、1937年の南京事件に関わったアメリカ人宣教師を中心とした人々や、事件に関する文献・資料が閲覧できる。このうち、ミニー・ヴォートリンのページ Archived 2009年9月17日, at the Wayback Machine.から、|『ミニー・ヴォートリンの日記』の原文全文がマイクロフィルム化されたもの『DIARY OF WILHELMINA VAUTRIN 1937-1940』(英語PDF資料Vautrin.pdf:33.81MB、全555ページ)From papers of Minnie Vautrin in Record Groups No. 8 & 11, and microfilm Ms 62. Microfilmed collection of Vautrin papers includes her diary (1937-1940), correspondence and newsclippings. が閲覧可能である。
- ^ 裁縫・料理・菜園作り・家畜飼育のほか、紡績・紡織・衣服の仕立てなどの職業技術の訓練指導を行った。
- ^ 貧困家庭の女性に基礎的な中学校教科教育と、生活・労働・奉仕活動・宗教教育を実施した。
出典
- ^ 日本語抄訳版が「南京事件の日々」ミニー・ヴォートリン 著、岡田良之助、伊原陽子 訳 『南京事件の日々―ミニー・ヴォートリンの日記』笠原十九司解説、大月書店、1999年11月。ISBN 978-4272520596。
- ^ a b c d e f g h 「南京事件の日々」による。 [要ページ番号]
- ^ a b c d 「南京事件の日々」pp.9-26による。
- ^ a b c 「南京事件の日々」pp.27-237による。(編注)日記から一部抜粋・要約しています。正確性の確保のために詳細は面倒でも原典にあたってください。
- ^ a b c d e f g 「南京事件の日々」pp.237-246による。
- ^ a b c d 「南京事件の日々」pp.247-252による。
- 1 ミニー・ヴォートリンとは
- 2 ミニー・ヴォートリンの概要
- 3 関連項目
ミニー・ヴォートリン
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「南京安全区国際委員会」の記事における「ミニー・ヴォートリン」の解説
南京国際赤十字委員会委員。金陵女子文理学院教授。宣教師。学院に婦女子のための難民キャンプを開設し、その責任者として強姦や拉致から大勢の女性を保護した。
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