戦後復興時代とは? わかりやすく解説

戦後復興時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:11 UTC 版)

東海道本線優等列車沿革」の記事における「戦後復興時代」の解説

1947年昭和22年4月 東京駅 - 博多駅門司駅間に1往復ずつ、計2往復急行列車復活以後列車増発されていくようになる1948年昭和23年7月 戦後初の白紙ダイヤ改正が行われ、全国急行列車と、2年前の11月東北地域初登場していた準急列車設定増発されるなどした。東海道本線でも不定期準急列車が5往復設定されたが、その一方で急行列車速度低下した。なおこの改正により、東海道区間における急行列車定期3往復不定期2往復となった1948年昭和23年12月 東京駅 - 鹿児島駅東京駅 - 大阪駅運行急行列車2往復1・2列車11・12列車)に「特別寝台車」を連結開始外国人向けのもので、日本人には売れ残った場合のみ寝台券販売したが、ともかく日本人乗れ寝台車復活した1949年昭和24年5月 特別寝台車は、一等寝台車改称1949年昭和24年6月 国有鉄道運営が、それまで運輸省から公共企業体の「日本国有鉄道」へ改められる1949年昭和24年9月15日 大規模なダイヤ改正実施東京駅 - 大阪駅間にて特急「へいわ」が運転を開始。同区間は9時間要し1934年昭和9年12月改正時の「燕」の8時間にはまだまだ及ばなかったが、ともあれ国鉄における特急列車5年ぶりに復活した。 「へいわ」と東京駅 - 鹿児島駅運行急行1・2列車食堂車営業開始され、これまた5年ぶりの復活となっている。 東京駅 - 大阪駅間で運行していた急行1516列車(この改正で、11・12列車から改番)に「銀河」と命名している。これは急行列車では(戦前大陸などを除いて)初の列車愛称であった新しく命名された「銀河」は、この改正三等車廃して一・二等車のみの編成となり、最後部には銀河かたどったバックサインを掲げていた。しかしまだ三等車混雑がひどい時代で、他の急行列車はどれも乗客すずなりとなっている中、「銀河」は利用率悪く常に短い編成ガラガラの状態で走るという有様となったため、客の分散を図るため運転開始9日目には三等車連結されるようになった東京駅 - 名古屋駅間には夜行準急列車3132列車設定された。 ちなみに東海道本線での急行列車は、この時定期7往復となった1949年12月 東京駅 - 博多駅間に急行21・24列車新設1950年昭和25年1月1日 「へいわ」は、「つばめ」戦後平仮名書き)に改称される。名列車の名前が蘇った1950年昭和25年6月 「つばめ」姉妹列車として、東京駅 - 大阪駅間に特急「はと」を設定「つばめ」・「はと」のコンビ以後1975年昭和50年3月まで続くこととなる。またこの時、特急列車女性乗務員の「つばめガール」・「はとガール」が乗るようになった1950年昭和25年10月 前年引き続き再び大規模なダイヤ改正を行う。 「つばめ」・「はと」は、東京駅 - 大阪駅間の所要時間を8時間とし、ようやく戦前の「燕」の水準追いついた。 二等寝台車このころ復活する。 「銀河」の運転区間東京駅 - 神戸駅間に延長東京駅 - 宇野駅直通急行列車初め設定され同列車は「せと」と命名された。 東京駅 - 広島駅間(呉線経由)運転の39・40列車設定。(東京駅 - 岡山駅間は、「せと」と併結急行21・24列車運転区間を、東京駅 - 熊本駅間(筑豊本線経由)に変更前年登場した東京駅 - 名古屋駅準急3132列車格上げ区間延長形態ながら、東京駅 - 湊町駅関西本線、現・JR難波駅)・鳥羽駅参宮線)間に1往復急行列車設定。 これにより東海道区間急行列車は9往復となり、ようやく活気戻ってきた。 1950年昭和25年11月銀河」・「せと」に限らず急行列車広く愛称をつけることになる。 「明星東京駅 - 大阪駅間運転の11・12列車彗星東京駅 - 大阪駅間運転の1516列車大和東京駅 - 湊町駅鳥羽駅間運転の201・202列車阿蘇東京駅 - 熊本駅間(筑豊本線経由)運転の3132列車きりしま東京駅 - 鹿児島駅間運転の33・34列車10月改正1・2列車から改番) 「雲仙東京駅 - 長崎駅間運転の3536列車筑紫東京駅 - 博多駅間運転の3738列車安芸東京駅 - 広島駅間(呉線経由)運転の39・40列車 1951年昭和26年4月 東京駅 - 大阪駅間にて、「つばめ」2 - 10後を追う時刻臨時特急「さくら」平仮名書き)が運転開始以後、多客期には必ず設定される列車となった1951年昭和26年9月 「せと」は、「安芸」との併結取りやめて単独運転となる。 1951年昭和26年11月 大阪駅 - 大社駅大社線、現在廃止)間で運行されていた準急列車東京まで延伸したうえで急行列車格上げされ「いずも」と名づけられる。この急行東京から山陰へ向かう初の列車ではあったが線路容量都合もあり、大阪駅まで「せと」と併結することになったまた、京都駅 - 博多駅都城駅間にて設定されていた準急205206列車から分離して、「阿蘇」に東京駅 - 門司駅間にて併結する形で、東京駅 - 都城駅間に「たかちほ」を設定1952年昭和27年4月 それまで連合国軍による占領終了したことを受けて連合国軍専用列車として運行されていた列車が、「特殊列車となって一部ながら日本人開放するうになる料金上は急行列車のそれとして扱われた。この時東海道区間を走る列車開放されたのは、東京駅 - 佐世保駅間運転の1001・1002、1005・1006列車で計2往復であった1952年昭和27年9月 名古屋駅 - 大阪駅間に、毎日運行不定期準急3405・3406列車設定1953年昭和28年3月筑紫」は鹿児島駅まで延長運転開始東京 - 鹿児島間を2夜行走ったまた、それまで大阪駅 - 博多駅運行急行列車であったげんかい」が、東京駅 - 博多駅運行となる。 1953年昭和28年11月 東京駅 - 大阪駅間で、各等で編成され夜行急行月光」が運転開始。また「大和」の鳥羽駅行き編成分離され、「伊勢」と命名された。準急3405・3406列車定期列車となり、列車番号405406列車とされた。 1954年昭和29年8月 特殊1005・1006列車が、博多駅発着短縮される1954年昭和29年10月 特殊列車は、完全に普通の急行列車転換され愛称つけられることになり、東京駅 - 佐世保駅間運転の1001・1002列車は「西海」、東京駅 - 博多駅間運転の1005・1006列車は「早鞆となった。「たかちほ」は併結相手を「阿蘇」から「げんかい」に変更

※この「戦後復興時代」の解説は、「東海道本線優等列車沿革」の解説の一部です。
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