慶長の役と武断派とは? わかりやすく解説

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慶長の役と武断派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 04:45 UTC 版)

浅野幸長」の記事における「慶長の役と武断派」の解説

慶長2年1597年)、再出兵で慶長の役が始まると、渡海して西生浦に着陣した。 日本軍全羅道忠清道進撃し明・朝鮮軍を破り朝鮮南部帰還し、さらに多く倭城築城開始したが、これが諸将怠慢であると秀吉怒り買って出撃を催促されたので、幸長毛利秀元黒田長政らは再び北上した幸長は彦陽に進んで前哨となり、加藤清正10里離れた場所に蔚山城築き始めた12月21日夜、突如明軍浅野勢の歩哨急襲した幸長翌日反撃試みるが、明軍数万軍勢であったので苦戦に陥り、幸長自身負傷馬印奪われた。家臣亀田高綱敵将を斬って混乱した隙に、蔚山城撤退した。この時、清正不在で、加藤清兵衛(直政)らが防戦したが、明・朝鮮軍は外郭突破したため、諸将手分けして曲輪防衛しなければならなかった。幸長太田一吉・(毛利家臣)宍戸元続らと二の丸本丸守った23日、明将李如梅・楊登山大手口に陣取って明・朝鮮軍は四方から城を包囲した。急を聞きつけた清正機張から500騎を率いて戻ってきたので、城兵士気上がったが、築城途中で城内食糧備蓄がほとんどなく、すぐに兵糧尽きたため、雑兵夜に城を出て死人腰兵糧漁るほどであった慶長3年1598年1月3日日本軍救援部隊到着し、明将楊鎬慶州への撤退決定するが、4日城内からも打って出明・朝鮮軍は撃破された。 詳細は「蔚山城の戦い」を参照 戦後傷病兵先に帰国させた後、幸長は西生浦に戻り3月16日帰国の途につく。8月秀吉死去に伴い太刀大三原(国の重要文化財)を遺物として賜った同年冬頃から奉行衆筆頭文治派石田三成激しく対立し幸長細川忠興加藤清正福島正則加藤嘉明黒田長政蜂須賀至鎮七人衆(七将)で徒党をなし、武断派称され五大老筆頭徳川家康与した慶長4年1599年)、三成家康争いの中では、幸長家康伏見屋敷を警備していた。閏3月3日前田利家亡くなると、翌4日武断派の七将が三成大坂屋敷襲撃するという噂が流れて三成宇喜多秀家屋敷隠れ前田玄以城番務め伏見城逃れた。七将も伏見押しかけて(伏見屋敷の)家康三成追討許可得ようとしたが、家康同調せず、調停する称して10日三成結城秀康を伴わせ、三成佐和山城送って蟄居とした。13日替わって家康伏見城西の丸入城したので、人々家康が「天下殿になられ候」と噂したという。 慶長5年1600年)、家康会津征伐出立するとこれに長政幸長父子従軍下野国小山三成謀反起こしたとの情報入って数日滞陣している時、軍議の席で幸長進み出て上方妻子人質取られているといって疑念持たないもらいたいと言って家康同盟新たにして、先鋒一つ任命された。東海道進んで8月22日木曽川渡河に際して幸長池田輝政西軍押さえとなり、西軍攻撃してくると新加納川を渡って木造長政らを撃破した23日石田三成家臣柏原彦左衛門の籠もる瑞龍寺山砦攻撃し彦左衛門の首を獲り、敵兵500余を討ち取った。 「河田木曽川渡河の戦い」、「米野の戦い」、および「岐阜城の戦い」も参照 9月14日家康赤坂岡山着陣すると、南宮山毛利秀元安国寺恵瓊長束正家西軍勢に備えとして、池田と共に垂井一里塚付近に陣を構えたこのため終日対峙したままで終わり本戦には加わらなかった。 「関ヶ原の戦い」も参照 戦後福島池田らと京都行って禁裏守護した。諸国制札でも福島池田浅野3人の連署判形出して洛中洛外暴虐の者を禁じた21日井伊直政と共に大坂城向かい西の丸に籠もっていた毛利輝元との和議仲介した。24日、輝元が退出すると、代わって幸長西の丸入り家康をここで迎え入れた10月軍功賞されて、紀伊国376,560石を与えられ和歌山城となった慶長6年1601年)、従四位下・紀伊守に叙任された。慶長8年1603年)、豊臣姓が確認される同年7月28日豊臣秀頼千姫婚儀のために大坂城登城した。

※この「慶長の役と武断派」の解説は、「浅野幸長」の解説の一部です。
「慶長の役と武断派」を含む「浅野幸長」の記事については、「浅野幸長」の概要を参照ください。

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