慶長4年(1599年)の再出兵計画
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「文禄・慶長の役」の記事における「慶長4年(1599年)の再出兵計画」の解説
秀吉は慶長の役の開始の頃から数度の出兵を計画しており、蔚山戦役の後には6万4千余の将兵を朝鮮半島の在番として拠点となる城郭群に残し防備を固めさせる一方、7万余の将兵を本土に帰還させていた。それは秀吉が慶長4年(1599年)にも大規模な軍事行動を計画していたためであった。日本軍の総司令官には石田三成や福島正則が任命されていた。その再出兵計画に向けて朝鮮半島の倭城に兵糧や玉薬などを諸将に備蓄するように命じていたが、計画実施前に秀吉が死去したため実施されることはなかった。
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