慶長10年の主な国分衆中
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「国分城 (大隅国)」の記事における「慶長10年の主な国分衆中」の解説
「慶長10年国分衆中」は慶長10年(1605年)の国分衆中569家の名簿が記載されている。 主な国分衆中は以下のとおり。 東郷藤兵衛尉(東郷重位) 平田平蔵(平田宗弘、後名は狩野介、平田正房・平田靱負親子の先祖) 相良勘解由次官(相良頼豊、平田宗弘の父が豊臣秀吉の九州征伐後に公領として取り上げられた旧領の代替地を島津義久に要求したときの取次役〈「平姓平田家系図」参照〉) 調所大炊左衛門尉(調所広郷の養父の先祖) 東郷安房入道(東郷重治) 町田縫殿助(町田久門、後名は駿河守) 皿良善介(皿良貞資) 瀬戸口三左衛門尉(『本藩人物誌』では、瀬戸口重為の養孫の重照が三左衛門を称したとある) 平田久兵衛尉(平田宗親、島津義久隠居の時の家老、平田増宗弟、のち切腹〈「平姓平田家系図」参照〉) 喜入大炊助(東郷重利の舅の先祖、同時代の喜入大炊助久正とは別人の模様) 椎原与右衛門尉(椎原国林。のち、島津義弘に殉死。西郷隆盛の母の先祖という) 福屋七介(後名は五郎兵衛) 川上治部左衛門尉 これらの人物は義久に従い鹿児島や浜之市から来て、義久や亀寿の死後に鹿児島城下に移住したものが多い。
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