思想と運動
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1983年、ボヴェはミヨーで大会が開催され結成された農民労働者組合全国同盟 (CNSTP) に参加、CNSTPは1987年に「生産性至上主義反対・農業の企業化反対」「土地に根ざした生産」を掲げる農民同盟 (Confédération Paysanne) に発展し、ボヴェはスポークス・パーソンを務める。農民同盟は、農民組織の国際ネットワークビア・カンペシーナ(Via Campesina、「農民の道」の意)に参加している。 1995年、ボヴェはシラク大統領が発表した核実験計画に反対してグリーンピースのボートに同乗。9月1日にフランス領タヒチのムルロア環礁核実験場海域に侵入して核実験の中止を訴え、フランス海軍に拘束される。 1997年、農民同盟は、GMO(遺伝子組み換え作物)に反対するキャンペーンを開始、そして1998年1月8日、ロット=エ=ガロンヌ県ネラックにある製薬・バイオテクノロジー企業ノバルティス社の倉庫にボヴェと農民同盟のメンバー数人が突入して、遺伝子組み換えされたトウモロコシの種子を「変質」させるという行動に出る。ボヴェと他の二人は懲役6ヶ月(執行猶予付き)の有罪判決を受ける。 1999年8月12日、農民同盟と市民のデモが「欧州が米国のホルモン肥育牛肉の輸入を禁止したことへの報復として、米国がフランス産のロックフォールチーズに対する制裁関税を課したことへの抗議」として、マクドナルドを「多国籍企業による文化破壊の象徴」に見立てて、ミヨーに建設中だった店舗を破壊する。ボヴェが語るところによると、8月9日にマスメディアと警察に「我々は建設中のマクドナルドを解体する」と通告。警察に「マクドナルド側に大きな看板を持ってこさせるが、これを破壊するというのではダメか?」と持ちかけられるが、ボヴェは「一考に値しない。われわれはマックのドアと窓をいただく」と回答する。警察側が「ドアと窓を外すには、内部の壁を壊すしかない」と答えると、ボヴェは「ではそうする。大した損害ではないだろう」と言い、警備担当者も「結構です。問題はありません」と結論を出したという(ボヴェはのちに、この警備担当者の名前を明かしている)。8月12日当日のデモは、警備体制も緩く地方議員や家族連れも参加する和やかなものだった。活動家たちはボヴェの「いまから解体するがきれいに解体しよう」という号令の通り、作業員が一人もいない建設中の店舗に入ってチェンソーで壁を壊してドアと窓を外して持ち帰った。(参考 マクドナルドを「解体」するボヴェら農民同盟 動画) しかし、5日後の8月17日に農民同盟のメンバーら4人が逮捕され、ボヴェは19日に逮捕されるという事態になる。他の四人は保釈請求が受け入れられて釈放されたが、ボヴェは遺伝子組み換え種子「変質」事件で執行猶予期間中だったので、保釈請求を却下される。法廷が9月2日に下した決定は「懲役刑を言い渡すが、他の4人と同じ条件で釈放する」というものだった。ボヴェは金を払っての釈放を拒否するつもりだったが、世界中から連帯のメッセージとともに届いた保釈金カンパの集まりに、9月6日に釈放されることを選択した。しかし、2002年大統領選でジャック・シラクが当選を決めた直後の6月19日に再収監される(獄内で抗議ハンストを行い、8月上旬に釈放)。 ボヴェは、WTO(世界貿易機関)を「健康と食料、労働などあらゆる人間の営みに侵食する『執行権』『立法権』『裁判権』を兼ね備えた『市場原理主義の超権力』である」として、1999年のWTOシアトル会議への抗議現地デモに参加する。2005年にも、韓国ピョンテグでの米軍基地に反対する集会に参加したあとに、WTO香港会議に対する現地デモに参加。デモの最先頭で、香港警察のマスタード・スプレーを頭から浴びている。 2002年には、イスラエル軍に軟禁状態にされていたパレスチナ自治政府のヤセル・アラファト議長を自家製のロックフォール・チーズを持参して訪問。イスラエルの攻撃を非難して、パレスチナ連帯の意を表明した。強制送還されたボヴェが到着したパリのオルリー空港では、集結したイスラエルとパレスチナ双方の支持者が乱闘を繰り広げるという一幕もあった。
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