太田一郎とは? わかりやすく解説

太田一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 07:09 UTC 版)

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太田 一郎(おおた いちろう、1924年5月27日 - )は、日本の経済学者歌人評論家

東京四谷生まれ。3歳で父を失う。第一高等学校いいだもも中村稔らを知るが、1945年空襲で家を焼かれ、戦後肺結核を発病し清瀬療養所に入る。ここで結城昌治福永武彦を知る。退院後1952年東京大学経済学部卒業、国民金融公庫に入る。かたわら吉行淳之介らと雑誌『世代』に短歌、評論を寄稿。国民金融公庫では調査部長、総務部長、理事を務め、1983年帝京大学経済学部教授。1995年定年[1]

著書

  • 『墳 歌集』思潮社 1966
  • 『現代短歌ノート』林書店 1967
  • 『蝕 歌集』思潮社 1971
  • 『形象集あるひは雅歌 太田一郎湊合歌集』出帆社 1976
  • 『定家・迢空・茂吉 定型詩論ノート』創樹社 1979
  • 『人間の顔をもつ小企業 生業的経営のバイオロジー』金融財政事情研究会 1981
  • 『秋の章 歌集』青土社 1982
  • 『現代の中小企業 その活力と再生』多賀出版 1986
  • 斎藤茂吉覚え書』創樹社 1987
  • 『黄樹 歌集』本阿弥書店 1991
  • 『地方産業の振興と地域形成 その思想と運動』法政大学出版局・叢書・現代の社会科学 1991
  • 『殘紅集 歌集』砂子屋書房 1994
  • 『海暮れて 定型詩論ノート』砂子屋書房 1995
  • 『太田一郎歌集』砂子屋書房・現代短歌文庫 1996
  • 『企業家精神の生成 中小企業創出のダイナミクス』多賀出版 1996
  • 『花の骸 歌集』砂子屋書房 1998
  • 『日の翳り』青土社 2000
  • 『私の戦後史 えごの花降る』青土社 2003
  • 『うたの風景 古典と現在』青土社 2006
共編著
  • 『中小企業の知識集約化戦略 大企業に勝つ第三の経営ビジョン』中村秀一郎清成忠男共編著 日本経営出版会 1973

  1. ^ 『現代の中小企業』著者略歴、『私の戦後史』。

太田 一郎(おおた いちろう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 09:39 UTC 版)

夫婦な生活」の記事における「太田 一郎(おおた いちろう)」の解説

みえこの弟。24歳。顔や性格はみえことそっくり。圭子(けいこ)という女性と結婚する。

※この「太田 一郎(おおた いちろう)」の解説は、「夫婦な生活」の解説の一部です。
「太田 一郎(おおた いちろう)」を含む「夫婦な生活」の記事については、「夫婦な生活」の概要を参照ください。

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