思想と著述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 16:21 UTC 版)
「ルドルフ (オーストリア皇太子)」の記事における「思想と著述」の解説
自由主義の影響を色濃く受けた教育と貴族に対する批判から、ルドルフはウィーン庶民の娯楽の場であるホイリゲに良く足を運び、庶民の心情を写し取る民衆歌シュランメルンを好んで聴いた。ヨーゼフ・ブラートフィッシュ(ドイツ語版)は、もともとホイリゲなどでウィーン民衆歌を口笛で演奏する演奏家であり、そこでルドルフに専属御者として「スカウト」されたという経歴を持つ。 執筆者としてのルドルフは、自由主義をベースに貴族批判を主な内容とした匿名政治的パンフレット『オーストリアの貴族とその使命 ある貴族青年による警告書』(1878年)を始めとして、『新ウィーン日報』への投稿などをする傍ら、担当教師の一人であった、当時の動物学の第一人者アルフレート・ブレームの弟子として、鳥類学に関する論文やエッセイも多く書いている。政治批判のパンフレットを執筆するときに多用したペンネームは「ユリウス・フェリックス(Julius Felix)」であった。 また、広大な帝国版図の文化・歴史をまとめた24巻にわたる事典『絵と文章で綴るオーストリア=ハンガリー帝国』(初巻1885年、刊行終了1902年)の編纂も務めた。初巻および第2巻の多くは、ルドルフ自身の手による文章から成っている。この辞典はまた『皇太子の作品』という別名で呼ばれることもある。 1880年代における保守派の再台頭、ことに1879年のエドゥアルト・ターフェの2回目の首相就任以降は、自由主義を固持するルドルフの政治的立場は不安定なものとなっていった。
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