思想と良心の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 13:56 UTC 版)
「思想・良心の自由」の記事における「思想と良心の関係」の解説
思想と良心の関係についての見解は多岐にわたる。佐々木惣一は「思想」を「人があることを思うこと」、「良心」を「人が是非辨別をなす本性により特定の事実について右の判断をなすこと」とした。ただ、日本国憲法第19条は思想と良心を並記して同列に自由を保障することとしていることから、両者の概念の区分は無用であると解されている。なお、後述のように「思想の自由」と「良心の自由」を区別し「良心の自由」を「信仰の自由」と捉える見解もある(最大判昭和31・7・4民集第10巻7号785頁栗山茂裁判官補足意見)。 「思想及び良心」の範囲については限定説(信条説)と広義説(内心説)が対立する。 限定説は「思想及び良心」を宗教上の信仰に準じる世界観、人生観、主義、信条など個人を形成するあらゆる精神作用を含むが、単なる事実の知・不知のような事物に関する是非弁別の判断は含まないとする説である。謝罪広告事件の最高裁判決で田中耕太郎裁判官は補足意見として「憲法の規定する思想、良心、信教および学問の自由は大体において重複し合っている。要するに国家としては宗教や上述のこれと同じように取り扱うべきものについて、禁止、処罰、不利益取扱等による強制、特権、庇護を与えることによる偏頗な所遇というようなことは、各人が良心に従って自由に、ある信仰、思想等をもつことに支障を招来するから、憲法一九条に違反するし、ある場合には憲法一四条一項の平等の原則にも違反することとなる。憲法一九条がかような趣旨に出たものであることは、これに該当する諸外国憲法の条文を見れば明瞭である。」と述べている(最大判昭和31・7・4民集第10巻7号785頁田中耕太郎裁判官補足意見)。 限定説に対して広義説は、本条の保障の対象となるものとならないものの明確な区別が可能か疑問であり、本条による保障の対象をこのように限定すべき理由はないとして、憲法第19条の思想・良心の自由の対象は内心の事由一般に及ぶとする。
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