思想と業績
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「バートランド・ラッセル」の記事における「思想と業績」の解説
数学者・論理学者として出発し、哲学者としてヘーゲリアンから経験論者に転向、以後その主張はかなりぶれがあったものの基本的には物的対象を基礎とした現象主義もしくは随伴主義的唯物論をとる。そののち、教育学者・教育者・政治運動家としても活動する。
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思想と業績
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新プロテスタント主義から神学的影響を受け、新カント学派から哲学的影響を受ける。牧会に従事しながら聖書の中に証されている言葉を、具体的な人間に対して神の言葉として聞かせるべき、牧師の説教の課題として注釈と宣教の革新が必要であるとした。特に、シュライアマハーによって基礎が据えられ、アルブレヒト・リッチュルによって修正され、アドルフ・フォン・ハルナックの時代にエルンスト・トレルチによってその頂点に達した文化プロテスタント主義(近代主義神学。彼は最初期はこれに帰依していた)に対して猛烈な攻撃を仕掛け、神学のテーマが人間学に解消しているとして、神学の本来のテーマを回復しようとし、「言における神の啓示」(『新約聖書』「ヨハネによる福音書」冒頭)を主張した。その神学は彼の著書『ローマ書講義』や『福音主義神学』、『教会教義学』という膨大な著書において記されている。 彼の思想の変遷を表す著書として『ローマ書』において神という一般的抽象的言葉を用いたのに反して、『教会教義学』前半では、特に倫理問題を扱うにあたり、「神」よりも「イエス・キリスト」という言葉を多く用いるようになり、キリスト論に彼の神学が集中していった(「キリスト論的集中」)。教父たちから神学思想を引き出しつつ、そこに革命的な新しさを与え、体系を立てた。ただし「キリスト論的集中」は彼の晩年の思想とは異なり、キリストを通じての神啓示が教会を越えて起こる可能性に言及した『教会教義学』最終巻 (IV/3, § 69) などでは三位一体の第三位格である聖霊に注目している。未完の『教会教義学』(Kirchliche Dogmatik, 1932年 - 1968年)は、9,000ページを超える大著であるが、これが未完である事情は単に年齢の問題だけではなく、晩年の書簡の以下のような表現にもうかがわれる。「私がもしもう一度『教会教義学』を書くなら、今度は聖霊論的に書きたい」[要出典]また彼は敬虔主義や他の諸宗教にも関心を示すようになった。[要出典]したがって、彼は晩年に自身の出発点である近代神学に回帰していると言えるのである。[要出典] この関連で、エミール・ブルンナーとの自然神学論争において彼が主張した「人間にはもはや『神の像』なし」という主張もまた再検討されうる。神認識がキリストの契機なしには起こらないという点ではブルンナーとバルトは主張を同じくするが、ブルンナーが主張した「人間における結合点」とは人間において聖霊の力が働いて神を認識することを言っているからである。彼はまさに近代の神学的課題やジレンマを一手に引き受けたと評価される。 また彼は改革派の神学をドイツ語圏(20世紀神学はドイツ語圏を中心に展開している)で再確認するきっかけを与えた。バルトに従えば神の律法は福音からして認識される。ルター派が主張する、「律法と福音」ではなく「福音と律法」という順序を主張した(同名の著作・邦訳書あり)。 福音主義神学においては、バルトはティリッヒおよびルドルフ・ブルトマンと並ぶ20世紀を代表する神学者と位置づけられている。教皇ヨハネ23世をして「今世紀(20世紀)最大のプロテスタントの神学者」と言わしめた。プラトン主義的な宗教論を提唱したイギリスの神学者、C・S・ルイスとも論争を行った。その思想はマルティン・ハイデッガー、また日本では西田幾多郎、滝沢克己に影響を与えており、数々の著作集・説教集の邦訳が刊行されている。 かつてはジャン・カルヴァン以来最大の改革派福音主義神学者と称され、その影響力は世界の教会に及び、カール・マルクス、カール・ヤスパースと共に20世紀の思潮を決定付けた3つのKという人もいた[誰?]。ヤスパースは、戦後バーゼル大学でバルトと同僚でもあった。 死後の1970年に開催された大阪万博において、生前に録音されていたバルトの語りがスイス館の紹介に用いられた。 わたしの感じではわたしたちスイス人は自分自身について語ったり、世界に対するスイスの立場や重要性について論じたりほめたりすることをあまりに好みすぎるようです。さらにスイスの人は自分の上品さや慎み深さをほめたがるのです。スイスには世界各国から有名な学者や芸術家がきて、ここを彼らのよい仕事場とし、中には第二の故郷としている者もあります。スイス国旗の十字はそれぞれ四つの方向をさし、それは話し合いのために、友好のために、世界をわたしたちの屋根の下に、中立国に、招くことを示しています。 —カール・バルト、『人類の知的遺産 72 バルト』41頁「II-1 環境」より抜粋
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