建設から開通までとは? わかりやすく解説

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建設から開通まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 20:32 UTC 版)

琵琶湖大橋」の記事における「建設から開通まで」の解説

1962年昭和37年11月5日京阪丸を建設予定地停留させ、船上起工式が行われた。その後1964年東京オリンピックに間に合うよう約2年完成させる目標建てられ建設工事急ピッチで進められた。 1962年昭和37年12月建設資材搬入するための工事道路として堅田側の取付道路から工事始まった地質地下水位高く含水量が多いので、粘性土のかく乱避けつつも路盤適した道路用砂質土砂転圧しつつ5 mの高さまで盛土した。堅田側では道路用として取得され土地最低限であったため、擁壁用いて土留め実施した取付道路により遮断され農道水道に対してコルゲートパイプ設けた守山側は堅田側に準じて取付道路の建設が行われたが、圧密沈下想定されたため路体早期築造によって促進行った取付道路施工開始から同時期に台船建設予定地湖上到着し基礎杭設置準備完了した1963年昭和38年2月には工事測量湖上にある架橋予定地点実施した。その直後大径鋼管杭第1号現場搬入され準備整い次第すぐに打ち込み開始された。1963年昭和38年)の春から夏の間に打ち込まれ次第橋脚建設始まった。この工事によって日本最初大口鋼管杭打ち込むため、世界で初めての振動式杭打機用いた工法採用したハンマー用いた従来工法では振動騒音大きく損傷大きくなる欠点があった。橋脚軟弱な地盤の上設置するため重量軽くする必要があり、形状上部構造とのバランス考慮してラーメン形式・壁式・ラーメン式が採用された。ラーメン形式のものには耐震景観により隔壁設けた水中施工大きな費用要するので、それを避けため水ではなく大径鋼管杭の上鉄筋コンクリートフーチング設けた。さらに船舶との衝突などで杭基礎損傷しないようフーチング部の周辺にはPC板設けた下部工出動した船舶は、台船1隻、クレーン船3隻、コンクリート注入船1隻、資材搬入船1隻、曳航船2隻であり、あたかも海戦彷彿とさせる工事現場だったという。 1963年9月からは当初工程通り上部構造設置段階入った合成設置にあたってクレーン船加えケーブルクレーン用いられた。仮組検査最初に終了した第1号合成搬入されたのは同年10月6日で、12月5日から架設開始された。この年内には橋桁9基の架設終わり当初の予定通り工程進んだ。年が明けた1964年昭和39年)には高張ボルトの締付、架設鉄塔設置ケーブル緊張作業が行われるが、その間三径連続床版箱桁の側径間工場で製作が進められていた。仮組3月26日搬入4月9日行われ堅田側、守山側に順番架設が行われた。施工中6月2日には高松宮宣仁親王宣仁親王妃喜久子視察訪問された。続いて延長140 mの三径連続床版箱桁中央径間が製作・仮組動的試験進んで6月16日搬入された。6月21日から7月7日にかけて架設が行われ、7月9日高張ボルトの締付が完了した1963年7月15日最後合成桁の架設がすべて完了し堅田守山の間が連結された。その後供用開始までの約2ヶ月床板高欄舗装塗装などの工事突貫行われた高欄設置にあたって特殊な曲線をした形状であり、設置時特注器具用いられた。鋼床版の上舗装転圧を必要としない舗設温度200 - 270高温で、アスファルトフィラー多く使用する代わりに砂が少なグースアスファルト舗装採用された。舗装先立ってゴム混じりアスファルト塗布することで防水性付着性の向上を図った合成の上舗装は他の橋梁でも採用されていた下層が密粒式アスファルト修正トペカ表層とする2層式用いられた。取付道路では特に守山側の圧密沈下懸念があり、道路用メッシュ入りコンクリート床版敷いたうえでソイルセメント打設して基層とした。 開通式は1964年昭和39年9月27日行われ翌日9月28日0時供用開始された。同日国道8号から琵琶湖大橋取付道路開通した当時日本最長有料橋であり、径間距離も安治川大橋国道43号)をしのいで日本一であった開通当初料金所堅田側の国道161号から340 mの部分守山側の橋台から114 mの位置設置された。堅田側の料金所運転者圧迫感感じないためゆるやかなカーブをつけた構造だった。守山側の料金所鉄骨構造近代的な軽快さを持たせコバルトブルーホワイトカラーによる色調道路橋梁との調和図った堅田側の料金所併設して管理事務所設けられ琵琶湖大橋状況把握できるように事務所全面ガラス張りとした。 堅田側には駐車場設けられ当初バス40台・乗用車180台の駐車場設けられた。休憩施設現在の道の駅びわ湖大橋米プラザ)は民間会社による経営によるレストハウス売店県営有料休憩所設置された。また、将来的にはプール併設予定されていた。そして、湖上遊覧する船舶遊覧ボートのための桟橋設置された。

※この「建設から開通まで」の解説は、「琵琶湖大橋」の解説の一部です。
「建設から開通まで」を含む「琵琶湖大橋」の記事については、「琵琶湖大橋」の概要を参照ください。

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