建設から運行・廃止まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/30 01:04 UTC 版)
「リミニ=サンマリノ鉄道」の記事における「建設から運行・廃止まで」の解説
1901年にイタリアのアドリア海沿岸部から世界最古の共和国であるサンマリノへ至る鉄道は計画されていたが、長く具体化には至っていなかった。しかし、1923年にジュリアーノ・ゴジのサンマリノファシスト党が政権を獲得し、ベニート・ムッソリーニがサンマリノを訪問したことを契機に鉄道建設計画の具体化が進められることとなり、1927年3月26日には両国間で鉄道建設協定が締結され、同年11月27日には同国の玄関口であるイタリア北東部アドリア海沿岸のリミニまでの建設と運営をSVEFTに委託するイタリア王室令が発せられ、建設費用の全額をイタリアの負担する形で翌1928年12月3日に建設工事が開始されている。 この鉄道は3000人の作業員が3交代制、週7日の体制で建設工事が進められ、4年間の工事の後1932年に開業した。延長は31.5km、軌間950mm、DC3000Vで電化された狭軌鉄道で、標高5mのリミニ駅から途中17箇所のトンネル、3箇所の橋と3箇所の高架橋を経て標高643mのサンマリノ駅までの約630mを最急50パーミル以上の勾配で登っていた。列車はAB01形電車1-2両が最大2両程度の客車を牽引する形で運行され、当初1日2往復で運転が始まり、その後6往復の運行となっており、所要時間は53分、運賃は全線乗車の場合1等12.40リラ、3等7.50リラであった。また、貨物列車(混合列車)もAB01形電車が貨車を牽引していた。 第二次世界大戦ではサンマリノは武装中立を宣言していたが、リミニ=サンマリノ鉄道は1944年6月26日のイギリス軍のサンマリノ誤爆により一部区間が被害を受けて休止となり、残った区間も同年7月4日に営業運行を終了した後、7月11日から12日にかけてAB04号機がB71号車とAB51号車を牽引した最終列車が運行されている。
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