建設および初期の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 22:32 UTC 版)
ヒメラはシケリアのこの地域では最初の植民都市であり、シケリア西部のカルタゴの支配領域の直ぐ東に位置する戦略的前哨基地であった。トゥキディデスはシケリアのこの沿岸で唯一のギリシア都市であると述べているが、これは「独立都市」と理解すべきと思われる。ミュラエ(現在のミラッツォ)もシケリア北岸のギリシア都市であったが、ザンクル(現在のメッシーナ)の従属都市であった。全ての専門家がヒメラもまたザンクルの植民地であったと意見が一致しているが、トゥキディデスはザンクルからの移民だけでなく、かなりの数のシュラクサイからの追放者がヒメラに居住しており、結果としてカルシディア(ザンクルを建設したイオニア人都市)の制度とドーリス方言が使われる都市となった。 ヒメラの建設は、ミュラエの建設に続いて行われたと(その位置関係からして当然と考えられるが)、ストラボンもスキムヌス(en)も述べている:トゥキディデスは建設日に関しては触れていないが、ディオドロスはカルタゴに破壊されるまで240年間存続したとしていることから、逆算すると紀元前648年に建設されたことになる。その初期の歴史に関してはほとんど分かっていない。アリストテレスの曖昧な言では、紀元前490年頃までの一時期、アクラガス(現在のアグリジェント)の僭主ファラリスの支配下にあったとされているが、他にそれを裏付ける資料は無い。またザンクルの僭主スキテス(en)が追放されたときに、彼を受け入れている。それからしばらく後、ヒメラはテリルスが独裁することになるが、テリルスはレギオン(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)とメッセネ(ザンクルから改名)の双方の僭主となっていたアナクシラスと同盟関係を築いていた。しかしテリルスはアクラガスの僭主テロンの勢力に対抗できず、ヒメラから追放された。テリルスはレギオンのアナクシラスを頼ったが、アナクシラスとカルタゴ王ハミルカルは賓客関係にあった。このため、紀元前480年にカルタゴはシケリアへ大規模な遠征軍を派遣することとなる。
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