建設: 1973年 - 1987年
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1973年6月、ニコラエ・チャウシェスクの手により、プロジェクトは全くあたらしいものとして再開された。建設に先立って、彼は1952年の裁判で判決を受けた人々の復帰を命じた。工事には、1948年のドナウ会談以降認められていた、ドナウ川下流地域におけるソビエト支配を取り除く目的もあった。公式のプロパガンダにおいては、1950年代の建設工事については全く言及されず、運河は「青いハイウェイ (Magistrala Albastră)」として宣伝された。 運河とコンスタンツァ港の総合設計は、ブカレストの「道路・水運・空輸設計機構 (IPTANA)」が担当した。また、ドナウ川やチェルナヴォダ地域については、「水力研究・設計機構 (ISPH)」が担った。建設現場では、ルーマニア国内で生産された、新しい大型機械が導入された。南側の本線は1984年5月に、北支線は1987年10月に完成した。 運河の建設費用は20億USドルと推定され、50年で返済可能とされていた。しかし、2005年の時点で、運河の年間収入は300万ユーロにすぎない。 2018年には、3290万トン以上の貨物がドナウ・黒海運河を通じて輸送された。前年と比べると4.7%の増加である。
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