建設1902年 – 1906年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 22:03 UTC 版)
「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の記事における「建設1902年 – 1906年」の解説
ロンドン地下電気鉄道から資金提供を受け、ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道とグレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道の合併を待たずに直径およそ11フィート8インチ (3.56 m)のトンネル2本を並行させる方式で1902年7月にナイツブリッジからトンネル掘削の建設工事が始められた。ロンドン地下電気鉄道は1904年10月発行の年次報告書にグレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道の工事進捗率は80%と記載している。駅舎の地上構造物は建築家レスリー・グリーンが設計した、ロンドン地下電気鉄道標準設計のものが採用された。駅舎は鉄骨2階建てで、赤い釉薬をかけたテラコッタ(英語版)ブロックで表面が飾られるとともに、大きな半円形の窓が上階に設けられた。地表近くに建設され、階段のみが設置されたフィンズベリー・パークと、長いスロープが設けられたグリスピー・ロード駅を除き、各駅には駅舎とホームを結ぶ2から4基のエレベーターと非常用螺旋階段が設けられた。 建設工事の大半は1906年の秋までに完了し、1906年12月の開業に向けた試運転が行われた。ディストリクト鉄道の半地表路線が1905年に電化され、信号システムも更新されたことで線路容量が十分増加したことでサウス・ケンジントンから東の大深度路線建設の必要性が薄れ、建設の権利を失効させることとなった。1846年軌間統一法後の建設であり、標準軌が採用されている。 電化方式はロンドン地下電気鉄道傘下の各社同様、2本の走行用軌道の中央にマイナス210 V、走行用軌道の外側にプラス 420 Vを印加する4線軌条式、直流630 Vが採用された。
※この「建設1902年 – 1906年」の解説は、「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の解説の一部です。
「建設1902年 – 1906年」を含む「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の記事については、「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の概要を参照ください。
- 建設1902年 – 1906年のページへのリンク