星ヶ峯の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 23:08 UTC 版)
現在の星ヶ峯一丁目から星ヶ峯五丁目までの区域は「星ヶ峯ニュータウン」として1973年(昭和48年)から1992年(平成4年)にかけて鹿児島開発事業団によって造成された。大川内、井手ヶ宇都、塔之原、蕨野の各集落に囲まれた丘陵地帯であり、1973年(昭和48年)に用地買収に着手し、1976年(昭和51年)12月に建設に着手した。着工当時は234平方メートルの造成計画であったが、社会経済情勢の変化に伴って1983年(昭和58年)に189万平方メートルに造成計画が変更された。 1981年(昭和56年)には鹿児島市立星峯西小学校、1982年(昭和57年)には鹿児島市立星峯中学校、1988年(昭和63年)には鹿児島市立星峯東小学校が相次いで開校した。1987年(昭和62年)3月には、桜島の南東部に位置する有村町の住民22世帯51人が1984年(昭和59年)7月21日に発生した噴石によって被害を受けたことから集団移転することとなり、星ヶ峯ニュータウンに集団移転している。1991年(平成3年)に工事が完成し、一般分譲が終了した。
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