星ヶ浦ヤマトホテル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 03:39 UTC 版)
満鉄によって大連郊外の景勝地に開発された海浜リゾート星ヶ浦(ほしがうら、現在の星海公園)に、1909年(明治42年)10月に開業したリゾートホテル。当初は貸別荘8棟(洋風5棟・和風3棟)のコテージ形式で開業した。翌1910年8月に本館(客室10室、1927年に20室に増設)が竣工し、9月19日から営業を開始した。1929年(昭和4年)度には新館(29室)と分館(日本人向60室)が増設され、貸別荘も50棟近くまで増やされた。 星ヶ浦は本格的な長期滞在型リゾートとして開発され、ホテル周辺一帯には大庭園、テニスコート、星ヶ浦ゴルフリンクス(1915年開業)などが併設された。また、星ヶ浦海水浴場には脱衣場などの施設が整備され、貸ボートやヨットでマリンスポーツを楽しむことができた。夏季にはここに滞在しながら通勤する満鉄社員もいた。 「星ヶ浦」の地名は、命名を頼まれた満鉄技術者・木戸忠太郎(1871-1959、木戸孝允の養子)が、日本人向け有楽地であるから日本人に親しみやすい名前がいいだろうと考えていたとき、この地の村落「黒石礁」に昔天から星が落ちてきたという伝説があることを知り、それに因んで命名した。これに合わせて、沙河を「天の川」と改名し、「雲井」という井戸を掘り、「織姫稲荷」を建て、「Star Beach」の門札を立てるなどした。
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