常設の私設水族館の設立とは? わかりやすく解説

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常設の私設水族館の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:17 UTC 版)

太田實 (実業家)」の記事における「常設の私設水族館の設立」の解説

日本の水族館の歴史については鈴木克美書物に詳しいが、明治15年の上野にできた「観室(ウオノゾキ)」以来明治30年までは、非常に「ささやかな」なものであった水の濾過循環設備備えた本格的な本邦最初の「水族館」が明治30年第二回水産博覧会で、神戸和田岬設けられた。博覧会附属設備であったので、一時的な施設であったが、これが日本初めて「水族館」と名乗った施設であった展示のための大半は、東京大学三崎臨海実験所名物採集人、青木熊吉集めたものを神戸まで運んだもので、大変な人気呼び大勢観客押し寄せたとある。 小笠原諸島水産事業将来性実感し大日本水産会幹事ひとりとして活躍してきた太田實は、かねてより、何か水産業に関する事業携わることができないか考えていた。千島全地の海産物を扱う「北洋合資会社」なる会社設立していたが、うまく軌道に乗らなかった。そのようなとき、この和田岬の「水族館」の集客力のすごさをみた太田は、これは興行としてもきわめて魅力的で、企業化可能だ考えた。 そこで、明治32年1月資本金3万円で「株式会社水族館」を設立し大日本水産会創立時のメンバーのひとり、中尾直治などの協力得て浅草公園四区の観工場共栄館を改造し同年10月11日教育参考館としてオープンした建坪十八坪の館内大小11水槽に百十一種の魚類千葉県富津沖から海水運んで飼育していた。料金大人五銭、子供三銭であった私設水族館としては、本邦二番目であるが、常設循環式水族館としては最初であった。現在、「浅草公園水族館」と称され明治18年浅草六区開設されたものと区別されている。 この水族館太田目論見どおり、当初評判となり多く観客集めたオープン翌月25日には、日本最初水族館解説書東京名物浅草公園水族館案内』(出版:瞰海堂発行人:藤野富之助)が出版されている。これに気をよくしたのか、明治33年8月には、大阪難波新地資本金4万円で「株式会社日本水族館」を設立し翌年1月6日に「日本水族館」を開業している。その盛会なる開業式については、明治34年1月7日の『大阪朝日新聞』で報じられている。その3日後の同紙の『水族館観る」という紹介記事には、水族館効用として、単なる娯楽的効用のみならず子供たちへの知識教育学者研究にも参考になり、喜ぶべきだと結んでいる。この記事同様に浅草公園水族館に対しても、オープン翌年に、水族館の中を子供向け紹介した少年教育水族館』なる書物発行されており、太田意図した啓蒙的教育的役割をも果たしていた。 当初大盛況年々十二内外云う本邦株式会社開闢以来の新レコードつくった際物営業内外羨望の的となったほどのものだが、この盛況長くは続かなかった。浅草公園水族館三年目には、開業三周年記念して福引景品などの企画で、未だ賑わっていたが、大戦後日露戦争一時に活動写真その他各種興行発生した明治36年10月日本最初映画常設館電気館浅草六区開業してから、明治40年1月活動写真常設館美音館、同4月三友館つぎつぎと六区活動写真館開業して客足六区流れていった。そこで、明治38年頃には、健康上のこともあり、實は社長退いていた。 そして、ついに他人の手に渡るときが訪れた明治43年11月22日の『夕刊やまと新聞』の「水族館売物末路憐れむは)」なる見出し記事には、 「浅草公園株式会社水族館維持困難なるため、12日臨時株式総会において、ある時期見て同館を売却する事に決し、これを重役一任する事となりたり。(中略)もしその目的通り購入者あらざるときは、結局大株主してまた同館に数円の貸し付けある根津嘉一郎の手流れ込むべしと云う。」とある。 さらに、大正2年には経営代わり水難救済会村田虎太郎取締役社長となり、二階演芸場つくって客寄せ努めた。さらに、大正12年関東大震災から復興した後も水族館存続し昭和4年7月には、エノケンがこの水族館二階軽演劇団のカジノ・フォーリー結成した。「おりしも同年12月12日から始まった川端康成朝日新聞連載小説浅草紅団』が、カジノ・フォーリー浅草公園水族館の名を一躍全国的に有名にした。」と鈴木克美の『水族館』に記されている。その他、川端康成の『水族館踊り子』、『浅草の姉妹』や、高見順編集になる小冊子浅草』(1955年)など多くの人たちに親しまれてきた。そして、現在では、世界中から珍しい数多く集めあらゆる近代技術用いたディスプレイ・テクニックを駆使して観客をあっと驚かせたり、癒せたりする水族館が、日本いたるところつくられている。浅草公園水族館はその嚆矢と言える

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