常設の私設水族館の設立
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「太田實 (実業家)」の記事における「常設の私設水族館の設立」の解説
日本の水族館の歴史については鈴木克美の書物に詳しいが、明治15年の上野にできた「観魚室(ウオノゾキ)」以来、明治30年までは、非常に「ささやかな」なものであった。水の濾過循環設備を備えた本格的な本邦最初の「水族館」が明治30年の第二回水産博覧会で、神戸の和田岬に設けられた。博覧会の附属設備であったので、一時的な施設であったが、これが日本で初めて「水族館」と名乗った施設であった。展示のための魚の大半は、東京大学三崎臨海実験所の名物採集人、青木熊吉が集めたものを神戸まで運んだもので、大変な人気を呼び、大勢の観客が押し寄せたとある。 小笠原諸島で水産事業の将来性を実感し、大日本水産会の幹事のひとりとして活躍してきた太田實は、かねてより、何か水産業に関する事業に携わることができないかと考えていた。千島全地の海産物を扱う「北洋合資会社」なる会社も設立していたが、うまく軌道に乗らなかった。そのようなとき、この和田岬の「水族館」の集客力のすごさをみた太田は、これは興行としてもきわめて魅力的で、企業化が可能だと考えた。 そこで、明治32年1月に資本金3万円で「株式会社水族館」を設立し、大日本水産会創立時のメンバーのひとり、中尾直治などの協力も得て、浅草公園四区の観工場共栄館を改造し、同年10月11日に教育参考館としてオープンした。建坪十八坪の館内大小11の水槽に百十一種の魚類を千葉県富津沖から海水を運んで飼育していた。料金は大人五銭、子供三銭であった。私設の水族館としては、本邦二番目であるが、常設の循環式水族館としては最初であった。現在、「浅草公園水族館」と称され、明治18年に浅草六区に開設されたものと区別されている。 この水族館は太田の目論見どおり、当初大評判となり多くの観客を集めた。オープンの翌月25日には、日本最初の水族館解説書『東京名物浅草公園水族館案内』(出版:瞰海堂、発行人:藤野富之助)が出版されている。これに気をよくしたのか、明治33年8月には、大阪難波新地に資本金4万円で「株式会社日本水族館」を設立し、翌年1月6日に「日本水族館」を開業している。その盛会なる開業式については、明治34年1月7日の『大阪朝日新聞』で報じられている。その3日後の同紙の『水族館を観る」という紹介記事には、水族館の効用として、単なる娯楽的効用のみならず、子供たちへの知識教育や学者の研究にも参考になり、喜ぶべきだと結んでいる。この記事と同様に、浅草公園水族館に対しても、オープンの翌年に、水族館の中を子供向けに紹介した『少年教育水族館』なる書物が発行されており、太田が意図した啓蒙的、教育的役割をも果たしていた。 当初は大盛況で年々十二割内外と云う本邦株式会社開闢以来の新レコードをつくった際物営業と内外羨望の的となったほどのものだが、この盛況も長くは続かなかった。浅草公園水族館の三年目には、開業三周年を記念して福引で景品などの企画で、未だ賑わっていたが、大戦後(日露戦争)一時に活動写真その他各種の興行が発生した。明治36年10月に日本最初の映画常設館、電気館が浅草六区に開業してから、明治40年1月活動写真常設館の美音館、同4月三友館とつぎつぎと六区に活動写真館が開業して、客足は六区に流れていった。そこで、明治38年頃には、健康上のこともあり、實は社長を退いていた。 そして、ついに他人の手に渡るときが訪れた。明治43年11月22日の『夕刊やまと新聞』の「水族館の売物(末路を憐れむは)」なる見出しの記事には、 「浅草公園の株式会社水族館は維持困難なるため、12日の臨時株式総会において、ある時期を見て同館を売却する事に決し、これを重役に一任する事となりたり。(中略)もしその目的通りの購入者あらざるときは、結局大株主にしてまた同館に数円の貸し付けある根津嘉一郎氏の手に流れ込むべしと云う。」とある。 さらに、大正2年には経営が代わり、水難救済会の村田虎太郎が取締役兼社長となり、二階に演芸場をつくって客寄せに努めた。さらに、大正12年の関東大震災から復興した後も水族館は存続し、昭和4年7月には、エノケンがこの水族館の二階で軽演劇団のカジノ・フォーリーを結成した。「おりしも、同年12月12日から始まった川端康成の朝日新聞連載小説『浅草紅団』が、カジノ・フォーリーと浅草公園水族館の名を一躍、全国的に有名にした。」と鈴木克美の『水族館』に記されている。その他、川端康成の『水族館の踊り子』、『浅草の姉妹』や、高見順の編集になる小冊子『浅草』(1955年)など多くの人たちに親しまれてきた。そして、現在では、世界中から珍しい魚を数多く集め、あらゆる近代技術を用いたディスプレイ・テクニックを駆使して、観客をあっと驚かせたり、癒せたりする水族館が、日本中いたるところにつくられている。浅草公園水族館はその嚆矢と言える。
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