大日本水産会創立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:17 UTC 版)
「太田實 (実業家)」の記事における「大日本水産会創立」の解説
一方、この間、太田實は小笠原諸島で見聞した水産資源の魅力を忘れがたく、日本の水産事業の拡張が必至と察し、書を内閣諸公に呈し農務省に水産の一局を設置すべきと建議している。 明治14年12月13日には品川弥二郎ほか23名の賛同者代表(小花作助、内村鑑三、関沢明清、田中芳男、松原新之助など)が一堂に会し、「大日本水産会」結成に向けて協議会を開いた。この会で規則確定委員10名を選挙で選んだが、太田實が23票でトップ当選した。翌明治15年2月12日、大日本水産会創立総会が行われた。 明治19年1月同志と協議して水産共進会を上野公園に開く。その委員となり、小松宮親王の台命を奉じて、各地の実業家と協同して水産会の活動に貢献する。また、水産伝習所を創設すべく、その監理の任を担う。明治21年11月21日には、本所区長として柳谷農商務書記官と共に水産伝習所を木挽町厚生会館内に新設すべく発起す。そして大日本水産会会員として、金20円也を寄付する。明治30年には、水産功績により表彰されている。
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