松原新之助とは? わかりやすく解説

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松原新之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/22 08:33 UTC 版)

松原 新之助(まつばら しんのすけ、嘉永6年<1853年> - 1916年<大正5年>12月14日)は、明治時代水産学者生物学者水産講習所初代所長。

生涯

出雲国松江藩の松原友益の長男として生まれる。は友摂。は儀卿。瑜州とした。松江藩医の山本泰安に本草学を学ぶ。1871年、19歳の時に藩費生として上京し、英語ドイツ語を学ぶ。

1872年東京医学校に入学し、ドイツ人教師フランツ・ヒルゲンドルフに近代生物学を学ぶ。1876年から東京医学校、1878年から駒場農学校で動植物学の講義を行った。その傍ら農務局御用掛を兼務した。1879年から2年間ドイツ帝国に留学し、1880年にはベルリンで開かれた「国際漁業博覧会」に日本国として初めて参加した。その後もベルリン大学で水産動物の研究を行った。

帰国後は、農商務省技師となり、1888年一高教授に就任する。水産講習所設立に尽力し、1890年から1911年にかけ初代所長を務めた[1][2]。大正5年12月14日没。墓所は谷中霊園

著書

  • 『植物名称一班』
  • 『植物綱目提要』
  • 『水産養殖学教科書全』など

脚注




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