山の様子
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アクセスと登山口 外縁部は、南・南東側に二村台の住宅地、西側及び北側に藤田医科大学・付属病院の関連施設、北東側に愛知県道220号阿野名古屋線を挟んで豊明市営の勅使墓園などがそれぞれ立地し、北辺は名古屋市緑区に接している。二村山へのアクセスは、2013年(平成25年)1月現在、公共交通機関では名鉄バスか豊明市運営のひまわりバスを利用する。名鉄バスでは、名古屋鉄道名古屋本線前後駅からは「藤田医科大学病院行き」あるいは「地下鉄徳重行き」あるいは「赤池駅行き(藤田医科大学病院・地下鉄徳重経由)」に乗車した場合、名古屋市営地下鉄桜通線徳重駅からは「前後駅行き」に乗車した場合、それぞれ「勅使台口」で下車すると二村山の東側登山口が間近にある。ひまわりバスでも、前後駅からひまわりバス1号または2号の「藤田医科大学病院行き」に乗車し、「二村山」または「勅使台口」で下車する。自家用車等で訪問する場合、愛知県道220号沿いにある「勅使台口」のバス停留所からほど近くに二村山駐車場があり、ここに駐車して脇の東側登山口から徒歩で進入するのが一般的である。ただし、二村山には登山道が複数あり、自動車では二村台7丁目住宅地内にある南東側の二村山入口から進入して峠まで行くことが可能であり、また徒歩においては東西南北いずれの方面にも狭い登山口が随所に存在することからさまざまな方面からのアクセスが可能である。 県道220号沿いにある駐車場と東側からの登山道。近くにはバス停留所がある。(2012年(平成24年)5月) 北側からの登山道。藤田医科大学正門から入ってすぐのところにある。唯一名古屋市からの登山道と考えられる。(2012年(平成24年)5月) 県道220号沿いにある北東側からの登山道。名古屋市と豊明市の境界直下にある。(2012年(平成24年)5月) 南側からの登山道。豊明市立双峰小学校敷地の北側にある。(2012年(平成24年)5月) 南東側からの登山道。二村台7丁目の住宅地内にあり、唯一自動車の乗り入れができる山道である。鎌倉街道の東側からの登山道であり、登り切った付近が小峠と呼ばれる。(2012年(平成24年)5月) 南西側からの登山道。(2012年(平成24年)5月) 登山道 かつての鎌倉街道の道筋を踏襲するとされる南東部の二村山入口からの登山道は、コンクリート舗装の急坂を登ると小峠と呼ばれる高みにまずは落ち着く。左手に豊明神社の境内があり、右手に自然広場・二村山緑地散策路へと続くこの地点からうっそうとした山林に囲まれた尾根道が続く。まもなく舗装が途切れて砂利道となるが、それでも自動車1台が通うだけの道幅はあり、沿道右手には2件ほどの一般住宅と「雲興寺」と呼ばれる小堂が立地している。なお沿道左手にはかつて老人憩いの家が存在したが、2002年(平成14年)末に発生した不審火による火災で焼失し、現在は敷地が残るのみである。山道ではまもなく左側と右側にそれぞれ2本ずつ分岐が生じており、左側向かって手前の分岐は豊明市立双峰小学校北側裏手からの二村山登山道、奥手の分岐は鎌倉街道本道と見なしうるような小道である。右側分岐のうち手前の分岐は二村山駐車場へと下る遊歩道、奥手の分岐は「鳳山堂」と呼ばれた廃屋へと続く廃道のような状態となっている。 東側からの登山口から進むと、左手に二村山緑地散策路が分岐する。(2012年(平成24年)5月) 東側からの登山道の様子。(2012年(平成24年)5月) 南東側からの登山道に入り、コンクリート舗装の坂を登り切ったところが小峠である。(2012年(平成24年)5月) 南東側からの登山道の様子。アスファルト舗装が続く。(2012年(平成24年)6月) 南東側からの登山道脇にある小堂雲興寺。(2012年(平成24年)5月) 南東側からの登山道の様子。やがて砂利道となる。(2012年(平成24年)6月) 南東側からの登山道を進むと、やがて峠の平地にたどり着く。現在ではこのような山門が構えている。(2012年(平成24年)5月) 二村山緑地散策路の様子。(2012年(平成24年)5月) 峠 尾根道も左側奥手の小道も、残り50メートルほど進んでたどり着くのが峠と呼ばれる南北60メートル、東西25メートルほど、標高62.6メートルの広々とした平坦地であり、曹洞宗久護峯平野山聖應禅寺の飛地境内でもあって、参拝者の自動車はここまで進入することが可能である。峠地蔵尊など3体の地蔵菩薩像を安置した地蔵堂、その左隣にも1体の地蔵菩薩像を安置した小堂があり、小休憩所やトイレなどもある。毎年4月8日には、この地蔵堂前で釈迦の生誕を祝す「花まつり」が催され、甘酒などが振る舞われる。また、1972年(昭和47年)に豊明市制施行記念として催され、現在では毎月第1日曜日の午前に開催されている「市民歩け歩け運動」は、市民が各自の自宅からこの二村山峠を目指して歩く運動である。平坦地の南端部分で上記の小道がさしかかるのが二村山峠であり、源頼朝の歌碑、「みかわ-鎌倉街道-なるみ」と刻まれた石柱、そしてここがいにしえの鎌倉街道であったことを示す石碑が立っている。なお、この峠へは二村山南西麓からの登山道も延びており、麓側は愛知中部水道企業団二村山配水場脇の入口となる。 二村山峠の平地を南東から北西向きに見たところ。敷地全体が聖應寺の飛地境内でもある。(2012年(平成24年)5月) 二村山峠の平地を北西から南東向きに見たところ。(2012年(平成24年)5月) 鎌倉街道とその周辺 他方、峠から北西に向かい下ってゆく山道が、石柱の示すところの「なるみ」方面に向かう街道の道筋であったとされ、西麓に至る300メートルほどの区間が現在では昔日の詩風を最も深く感じさせる林道となっているが、藤田医科大学の立体駐車場ゲート脇に至ったところで途切れてしまう。なお、道が途切れてしまう手前付近に北側へと抜ける細い山道が分岐しており、山道を進むと藤田医科大学溝内の車道の脇に行き着く。名古屋市緑区域内の二村山への登山口は、ここが唯一であると思われる。本来の鎌倉街道は現在の藤田医科大学病院の敷地内をそのまま西走していたと考えられ、やがて「濁池(にごりいけ)」と呼ばれる池に達する。江戸時代に造成されたため池が多い豊明市にあって濁池は中世以前から存在する古い池だと考えられるが、平安・鎌倉時代から存在していたかどうかは定かではない。街道はこのまま池の北側を回ったといわれる一方、文政年間(1818年-1830年)の孫目村古地図では濁池南側の堤防道を「鎌倉」と記しており、堤防の補強後に南回りのコースが整備されたと考えられる。そして堤防道をそのまま進むとやがて愛知用水に達し、まもなく名古屋市緑区内に入ってゆく。 鎌倉街道道中。(2012年(平成24年)5月) 鎌倉街道道中。(2012年(平成24年)6月) 麓まで降りてくると、左手に立体駐車場の発券ゲートが現れる。(2012年(平成24年)6月) 発券ゲート脇を少し進んだところで、山道は途切れてしまう。(2011年(平成23年)3月) 濁池と南岸にある堤防道。画像は西側からみた東方向の様子である。(2012年(平成24年)5月) 濁池を北岸より眺める。現在北岸ではかつての街道を示すような痕跡はまったく見られない。(2012年(平成24年)5月) 展望台山道・山頂 峠地蔵尊の平坦地の北西端にはさらに北西に延びる展望台山道があり、沿道右手には「伊藤両村先生之碑」をはじめとした各時代のさまざまな謂われを持つ石碑が建てられている。そして登り切ったところが南北40メートル、東西15メートルほどの平坦地となった山頂部であり、豊明市の最高地点でもある標高71.8メートルを示す三等三角点 のほか、二村山展望台、「大嘗祭悠紀歌(だいじょうえゆきうた)碑」、「切られ地蔵尊」、「岳輅(がくろ)の歌碑」、東屋などがやや密集する園地となっている。この頂上へは二村山駐車場からの登山道から直接アクセスすることも可能であり、また愛知県道220号の名古屋市-豊明市境界線付近にある北側登り口から登山した場合、二村山展望台の直下に登りつく。 二村山峠の北端にある展望台への山道入口。沿道右手には「伊藤両村先生之碑」をはじめ多くの石碑が建立されている。(2012年(平成24年)5月) 展望台への山道の様子。(2011年(平成23年)5月) 山頂の平地。左手前より右奥に向かって、二村山勝地標柱、大嘗祭悠紀歌碑、切られ地蔵尊、岳輅の句碑、三角点、東屋である。茂みに隠れているが最奥部に展望台がある。右手にあるのは案内板。(2012年(平成24年)5月) 2009年時点の三角点。(2009年(平成21年)6月) 2012年時点の三角点。木製の標柱がなくなっている。(2012年(平成24年)5月) 三角点の脇にある東屋。(2012年(平成24年)5月) 東屋の脇に、西麓へと下る階段道がある。(2012年(平成24年)5月)
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