富田林高等学校とは? わかりやすく解説

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大阪府立富田林中学校・高等学校

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/11 03:01 UTC 版)

大阪府立富田林中学校・高等学校
北緯34度29分51.5秒 東経135度35分54秒 / 北緯34.497639度 東経135.59833度 / 34.497639; 135.59833座標: 北緯34度29分51.5秒 東経135度35分54秒 / 北緯34.497639度 東経135.59833度 / 34.497639; 135.59833
過去の名称 大阪府第八中學校
大阪府富田林中學校
大阪府立富田林中學校
国公私立の別 公立学校
設置者  大阪府
理念 先進的な中高一貫教育をすすめる、明治34年(1901年)創立の歴史ある伝統校として、地域や世界との協働を通じて深い教養と探究心・豊かな人間性を備えた、地球的視野を持って未知の課題に挑み、地域や社会に貢献するグローカル・リーダーを育成する[1]
設立年月日 1901年3月7日
2017年4月1日(中学校)
創立記念日 5月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース Global Explorer (GE)専門コース
学校コード C127210004539 (中学校)
D127210000345 (高等学校)
高校コード 27166H
所在地 584-0035
大阪府富田林市谷川町4-30
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大阪府立富田林中学校・高等学校(おおさかふりつ とんだばやし ちゅうがっこう こうとうがっこう、: Osaka Prefectural Tondabayashi Junior and Senior High School)は、大阪府富田林市に所在する公立の併設型中高一貫教育校で、中学校と全日制普通科高等学校を併設する。略称は 富中高 とんちゅうこう、通称は 富高 とんこう[注釈 1]および 富中 とんちゅう

概要

大阪府の「教育一〇ヶ年計画」に基づき20世紀初頭に新設された旧制中学校4校の一つ、大阪府第八中学校を前身校とする。学制改革に伴い新制の富田林高等学校に転換された後、60年に渡り、全日制と定時制を並置する複数課程設置校であった。

2017年(平成29年)度より、大阪府立学校では初の中高一貫教育校[注釈 2]として富田林中学校を併設し、中高一貫教育を実施している。

高等学校は「自由な校風」であり、行事等の学校指定日以外では私服の着用を認める標準服が採用されている。「ぜんぶ全力」を合言葉に、文化祭体育祭ペナントなどの行事は活発である。また、部活動は全国経験が文化部を中心に豊富である。

探究活動に力を入れており、2017年度よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)基礎枠に指定されている。またユネスコスクールとしてAssociated Schools Network(ASPnet)や、サイエンススクールネットワーク(SSN)を利用した海外での語学研修や国内の研究施設見学等も実施されている。

スクール・ミッション

先進的な中高一貫教育をすすめる、明治34年(1901年)創立の歴史ある伝統校として、地域や世界との協働を通じて深い教養と探究心・豊かな人間性を備えた、地球的視野を持って未知の課題に挑み、地域や社会に貢献するグローカル・リーダーを育成する[1]

めざす学校像

120年を超える伝統を有する本校は、グローバル教育や科学教育など幅広い先進的な教育を通して、地域や世界と協働しながら深い教養と探究心・ 豊かな人間性を涵養し、「地球的視野を持って未知の課題に挑み、地域や社会に貢献するグローカル・リーダー」を育成する[2]

<生徒に育みたい力>

  1. グローバルな視野とコミュニケーション力
  2. 論理的思考力と課題発見・解決能力
  3. 社会貢献意識と地域愛[2]

教育目標

グローカル(Global & Local)リーダーの育成[3]

スクール・ポリシー

グラデュエーション・ポリシー

  • 幅広い知識と深い教養を涵養し、難関大学をはじめとした希望する進路の実現をめざす。
  • 課題を発見し、論理的に考え、他者と協働しながら課題解決をめざす「探究心」を育む。
  • 地域社会の一員としての自覚をもつとともに、世界に目を向け、学びを社会へと還元するグローカル・リーダーを育成する[4]

カリキュラム・ポリシー

  • 難関大学への進学に対応した高度な授業をはじめ、個に応じた学びを提供する。
  • SSH指定校として、大学等の研究機関との連携を図りながら探究活動を充実させることで、高度な科学教育を実践する。
  • 充実した学校行事や生徒会活動などにより、主体性や協調性、豊かな人間性の涵養を図る。
  • 地域との繋がりを意識し、グローバルな視野を獲得するため、地域社会や海外との連携を充実させる[4]

アドミッション・ポリシー

「自由な校風」のもと、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定される等、先進的な科学教育や国際的な視野に立ったグローバル教育など多様な教育を実践する学校である。 教育目標は「グローカル(Global & Local)リーダーの育成」である。地球的視野に立ち、国や地域のことを考え行動し、社会に貢献する人材を育成する。

  1. 確実な知識・技能に基づいた学力を持ち、学業だけでなく学校行事や部活動などにも積極性を持った生徒
  2. 将来の進路実現に向けて、高い目標を掲げて学業に真摯に取り組む生徒
  3. 最新の科学技術や異文化への理解など、多方面に大きな関心を持ち、その習得に意欲的に取り組むとともに、将来、その分野の発展に貢献しようとする意欲のある生徒
  4. 他人のことを思いやる心を持ち、コミュニケーション能力の向上に努め、グローバルな視野を生かして、将来、国際社会において活躍しようとする意欲のある生徒[4]

沿革

略歴

富田林中学校(旧制)

1900年9月5日文部省は大阪府第八中学校を1902年4月に南河内郡川西村(現在の富田林市)に開設する告示を出した。一方で地元住民らは大阪府に早期開設を求めて陳情を繰り返す等した結果、12月に大阪府会郡部会は開設時期繰り上げを決定した。1901年2月9日、文部省は開設を1901年4月に修正する告示を出し、当初の計画より1年繰り上げた形での開設が決定した。

1901年3月7日、大阪府第八中学校は南河内郡川西村大字甲田字谷毛寺やもじの現在地に設置され、開校準備作業が実施された。4月の開校と同時に大阪府富田林中学校に改称された[注釈 3]が、開校直後の1901年4月8日付文部省令[注釈 4]の施行に伴い、6月3日付で大阪府立富田林中学校に再改称した。1901年6月13日には開校式が行われた。

旧制中学校時代は、当時の政府の方針に加えて学校所在地が楠木正成の出生地に近いことから、楠木正成と結びつけた忠君愛国教育が実施された。

1902年には遠方在住生徒向けの寄宿舎が併設されたが、1935年5月23日、火災により全焼した[5]ことを契機として、再建される事なく廃止された。

富田林高等学校

学制改革により、1948年に大阪府立富田林高等学校が発足した。大阪府立河南高等学校(大阪府立富田林高等女学校)と男女生徒を交流して男女共学を実施している。なお当初は大阪府立黒山高等学校(現在の大阪府立登美丘高等学校、旧制大阪府立黒山高等女学校)とも男女生徒交流の案もあったが、大阪府は「強いて実行する必要はない」などと消極的な見解をとるなどしたため、黒山高等学校との交流案は立ち消えになっている。

新制高校の校名については、当時の富田林町[注釈 5]に高等学校が2校あったことから、学校所在地の位置関係から旧制富田林中学校を「富田林東」、旧制富田林高等女学校を「富田林西」にする案が検討された。しかし富田林中学校を富田林高等学校、富田林高等女学校を河南高等学校にする案で決着した。

新制高等学校発足直後の1948年5月、GHQの指令により河南高等学校校舎を新制富田林町立中学校(現在の富田林市立第一中学校)校舎として転用することになった。このため河南高等学校は富田林高等学校内に移転して同居している。河南高校は1951年に自校舎へ復帰している。

1960年代以降高校生急増期を迎え、1960年代から1970年代にかけて校舎を増設している。

1962年には家政科を併設した。しかし普通科志望者の増加や家政科在籍者の進学希望者の増加、複数学科併置による指導の難しさなどが指摘され、家政科廃止の案が1978年に職員会議で出された。家政科は1980年度に募集停止となり、その分を普通科の増学級に振り分けられた。

1930年代以降使用していた校舎の老朽化が目立つようになったため、大阪府議会で1991年、校舎改築予算が成立した。校舎建設に先立ち、1994年から1995年にかけ、校内の校舎建設予定地周辺で谷川遺跡の発掘調査がおこなわれた。発掘調査終了後に校舎建設工事が進んだものの、大阪府の財政難のため1996年7月の第一期工事竣工後、建築工事が一時中断することになった。約10ヶ月後の1997年5月に工事が再開され、1999年7月に完成している。以前校舎があった場所は現在グラウンドになっている。

富田林中学校・高等学校

2017年度には富田林高等学校の校地内に中学校を併設し、大阪府立学校初の併設型中高一貫教育校となった[6][7]。中学校3クラス・高等学校6クラスを設置し、通学区域は大阪府全域となっている[6]

定時制課程

1948年の学制改革では、全日制のほかに定時制も発足している。定時制は富田林高等学校本校内に併設されたもののほか、定時制分校が設置された。1969年には千早赤阪分校定時制の廃止に伴い、分校定時制在籍生徒を本校定時制課程へと移籍している。

1960年代頃には地方からの集団就職者の増加により入学者が急増した。しかし1970年代後半頃からは、集団就職者の減少や全日制高校の整備による全日制進学者増加などのため、定時制課程の志願者は減少傾向にあった。

1994年には通信制課程の併修により3年卒業も可能とする制度を導入し、また1996年から2004年まで一般府民の聴講制度も設置した。

しかし定時制は大阪府の定時制高校再編計画により2005年度以降の生徒募集を停止し、2008年3月に閉課程となった。

分校

1948年9月に定時制分校として、南河内郡山田村(現在の河南町)に山田分校(のち科長原分校に改称)、南河内郡千早村(現在の千早赤阪村)に千早分校が設置された。翌1949年には南河内郡長野町(現在の河内長野市)に長野分校が設置された。さらに1951年には地域の要望を受ける形で、赤阪村(現在の千早赤阪村)に赤阪分校が設置された。4分校は昼間定時制を設置し、また赤阪分校では夜間定時制も併設した。

山田(科長原)分校は農協倉庫の一室(寄り合い部屋)から始まり、その後磯長小学校・学校組合立科長原中学校(現在の太子町立中学校)への併設を経て、1956年に長野分校に統合される形で廃校となった。

長野分校は長野町立小学校長野町立中学校への併設を経て1963年に廃止された。

千早分校・赤阪分校は1959年に統合し、千早赤阪分校となった。千早赤阪分校は1999年に廃止された。

年表

  • 1901年4月 - 大阪府富田林中学校として開校。
  • 1901年6月3日 - 大阪府立富田林中学校に改称。
  • 1948年4月 - 学制改革により大阪府立富田林高等学校となる。
  • 1948年9月、定時制課程(夜間部)を新設。本校の定時制課程のほか、定時制分校2ヶ所を設置。
  • 1959年4月 - 分校を統合し、千早赤阪村千早赤阪分校を設置。
  • 1962年 - 家政科を設置。
  • 1969年 - 千早赤阪分校定時制の閉課程により、同課程在籍者を本校定時制課程に移籍。
  • 1982年3月 - 家政科を廃止。
  • 1999年3月 - 千早赤阪分校を廃校。
  • 1999年7月 - 新校舎が完成。
  • 2003年 - 全日制課程が、大阪府教育委員会のエル・ハイスクールに指定(2007年3月まで)。
  • 2005年 - 定時制課程を募集停止。
  • 2008年3月 - 定時制課程を閉課程。
  • 2009年 - 文部科学省の委嘱事業による「学力向上実践研究校」に指定(2012年3月まで)。
  • 2014年4月 - 一足制を導入。
  • 2015年 - ペナント・文化祭の時期を入れ替える。
  • 2017年 - 併設型中高一貫教育校に移行。高等学校の校舎を利用する形で、中等部を設置。同時に文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクールに指定される。
  • 2018年 - 3教室及び大ホールを有する中高一貫記念館が完成。医学者である山中伸弥による記念講演が行われた。
  • 2023年 - スーパーサイエンスハイスクール 第2期に指定される[8]

基礎データ

所在地

アクセス

象徴

校章

当初は「中」を表す六稜の上に第八中学校を表す「八」をあしらった校章であったが、大阪府立八尾中学校の校章[注釈 6]と混同されやすいことから、1927年に「菊水」紋[注釈 7]を六稜の上にあしらった校章へと変更された[3]

制服

男子は指定の詰襟学生服、女子は指定のセーラー服を着用するが、2023年度入学生(中学7期生・高校78期生)より、男女ともに指定のブレザー[注釈 8]も着用可能となる。高等学校は、指定服を標準服として私服の着用を認めるが、行事等の学校指定日は指定服を必ず着用する。中学校は指定服を制服として毎日着用する[3]

部活動

多くの生徒がクラブに所属しており活発に活動している。陸上部はインターハイ出場経験があり[9]、ラグビー部は1988年度大阪大会決勝まで進んだが、全国優勝した大阪工大高に敗れた[10]。文化系では、全国高等学校総合文化祭など全国大会への出場経験もある。

運動部

中高合同
中学のみ
高校のみ

文化部

中学のみ
高校のみ

高校関係者と組織

高校関係者組織

  • 大阪府立富田林高等学校学校運営協議会 - 保護者、地域住民、校長、関係行政機関の職員の中から委嘱された委員による機関。学校運営及び当該運営への必要な支援に関して協議する。
  • 大阪府立富田林高等学校PTA - 生徒保護者教員による父母と教師の会(PTA)組織で、会員は入会金及び年会費を納入する。
  • 大阪府立高等学校PTA協議会 - 大阪府教育庁に近接する大阪市中央区糸屋町に事務局を置くPTA協議会。大阪府立鳳高等学校PTAの会員をもって会員とし、会員は単位PTA分担金として会費を納入する。
  • 大阪府立富田林高等学校同窓会 - 前身学校を含む卒業生による同窓会組織。本部を富田林高等学校同窓会館内に置く。

高校関係者一覧

著名な出身者

脚注

注釈

  1. ^ 富田林中学校・高等学校全体を指す場合もある。
  2. ^ 2022年度に大阪府に移管された大阪市立咲くやこの花中学校・高等学校(現在の大阪府立咲くやこの花中学校・高等学校)は、大阪市立の中高一貫教育校として2008年度に開設されていた。
  3. ^ 大阪府立中学校・高等女学校の命名規則については、設置順による校名を廃して所在地名称による校名を採用する。
  4. ^ 中学校・高等女学校などの名称について「○○県立・○○郡立」などの形で設置者の名称を冠することが義務づけられ、この命名規則に沿っていない既存校については6ヶ月以内に変更する指示がされた。大阪府に再移管された中学校・高等女学校では、1901年4月に「大阪府○○中学校/高等女学校」と改称された校名を、2ヶ月後の1901年6月に「大阪府立○○中学校/高等女学校」へと一斉に再改称することとなった。
  5. ^ 1950年市制施行で富田林市。
  6. ^ 八尾中学校の校章は、六稜の上に第三中学校を表す「三」をあしらったものであった。
  7. ^ 地元である南河内に本拠を置いた楠木氏の家紋である。また、同窓会報の題名「菊水郷」にある菊水の由来でもある。
  8. ^ 性別に拘わらず、スラックス・スカートを選択出来る。

出典

  1. ^ a b 府立高等学校スクール・ミッション一覧” (PDF). 大阪府ホームページ. 大阪府. p. 1. 2025年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月5日閲覧。
  2. ^ a b 令和7年度 学校経営計画及び学校評価” (PDF). 大阪府立富田林中学校・高等学校. 大阪府立富田林中学校・高等学校. p. 1. 2025年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月11日閲覧。
  3. ^ a b c 学校概要”. 大阪府立富田林中学校・高等学校. 大阪府立富田林中学校・高等学校. 2025年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月11日閲覧。
  4. ^ a b c 府立高等学校スクール・ポリシー一覧〈北河内・中河内・南河内エリア〉” (PDF). 大阪府ホームページ. 大阪府. p. 1. 2025年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月5日閲覧。
  5. ^ 「富田林中学校で校舎三棟全焼」『大阪毎日新聞』大阪毎日新聞社、1935年5月24日。
  6. ^ a b 南河内地域における中高一貫校の設置に関すること”. 大阪府ホームページ. 大阪府. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月11日閲覧。
  7. ^ 歴史の1ページ目、120人 府立初の併設型中高一貫、富田林中学で /大阪”. ニュースサイト「毎日新聞」. 毎日新聞社 (2018年4月9日). 2018年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月11日閲覧。
  8. ^ 令和5年度スーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校の内定等について:文部科学省”. 文部科学省ホームページ. 2023年5月13日閲覧。
  9. ^ 部活動:運動系・文科系 府立富田林中学校・高等学校
  10. ^ 63年 高校ラグビー大阪大会決勝 大阪工大高対富田林 - YouTube

参考文献

  • 大阪府立富田林高等学校100周年記念事業実行委員会『富田林高校百年史』2001年。 

関連項目

外部リンク


富田林高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 00:09 UTC 版)

大阪府立富田林中学校・高等学校」の記事における「富田林高等学校」の解説

学制改革により、1948年大阪府立富田林高等学校発足した大阪府立河南高等学校大阪府富田林高等女学校)と男女生徒交流して男女共学実施している。なお当初大阪府立黒山高等学校現在の大阪府立登美丘高等学校旧制大阪府黒山高等女学校)とも男女生徒交流の案もあったが、大阪府は「強いて実行する要はない」などと消極的な見解をとるなどしたため黒山高等学校との交流案は立ち消えになっている新制高校校名については、当時富田林町高等学校が2校あったことから、学校所在地位置関係から旧制富田林中学校を「富田林東」、旧制富田林高等女学校を「富田林西」にする案が検討された。しかし富田林中学校を富田林高等学校、富田林高等女学校河南高等学校にする案で決着した新制高等学校発足直後1948年5月GHQ指令により河南高等学校校舎新制富田林町中学校現在の富田林市立第一中学校校舎として転用することになったこのため河南高等学校は富田林高等学校内に移転して同居している。河南高校1951年自校舎へ復帰している。 1960年代以降高校生急増期を迎え1960年代から1970年代にかけて校舎増設している。 1962年には家政科併設した。しかし普通科志望者の増加家政科在籍者進学希望者の増加複数学科併置による指導難しさなどが指摘され家政科廃止の案が1978年職員会議出された。家政科1980年度募集停止となり、その分普通科の増学級振り分けられた。 1930年代以降使用していた校舎老朽化が目立つようになったため、大阪府議会1991年校舎改築予算成立した校舎建設先立ち1994年から1995年にかけ、校内校舎建設予定地周辺谷川遺跡の発掘調査おこなわれた発掘調査終了後校舎建設工事進んだものの、大阪府財政難のため1996年7月第一期工事竣工後、建築工事一時中断することになった。約10ヶ月後の1997年5月工事再開され1999年7月完成している。以前校舎があった場所は現在グラウンドになっている2017年度には富田林高等学校の校地内中学校開校した大阪府立として設置され学校としては初めての中高一貫校となった中学校3クラス高等学校6クラス設置し通学区域大阪府全域となっている。

※この「富田林高等学校」の解説は、「大阪府立富田林中学校・高等学校」の解説の一部です。
「富田林高等学校」を含む「大阪府立富田林中学校・高等学校」の記事については、「大阪府立富田林中学校・高等学校」の概要を参照ください。

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