旧制富田林中学校とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 旧制富田林中学校の意味・解説 

旧制・富田林中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 00:09 UTC 版)

大阪府立富田林中学校・高等学校」の記事における「旧制・富田林中学校」の解説

文部省1900年9月5日大阪府第八中学校1902年4月開設する告示出した大阪府第八中学校南河内郡川西村現在の富田林市)に開設することもあわせて告示されている。 一方で地元住民らは早期開設求めて大阪府陳情繰り返すなどした。その結果大阪府第八中学校当初開校計画より1年繰り上がり1901年4月開校決まった大阪府郡部会は1900年12月開校時期繰り上げ決定した文部省1901年2月9日大阪府第八中学校開校1901年4月修正する告示出した大阪府第八中学校1901年3月7日設置され開校準備作業実施した大阪府中学校高等女学校では学校設置順による番号での校名廃して所在地の名称を校名取り入れることになったことに伴い1901年4月開校同時に大阪府富田林中学校へと改称している。学校の場所は南河内郡川西村大字甲田字谷毛寺(やもじ)の現在地である。 開校直後1901年4月8日付文省令により、中学校高等女学校などの名称について○○県立○○郡立」などの形で設置者の名称を冠することが義務づけられ、この命名規則沿っていない既存校については6ヶ月以内変更する指示がされた。これに伴い大阪府すべての中学校高等女学校では、1901年4月に「大阪府○○中学校高等女学校」と改称され校名を、2ヶ月後1901年6月に「大阪府○○中学校高等女学校」へと一斉に再変更することになったこれに伴い1901年6月3日付で大阪府立富田林中学校改称している。 1901年6月13日開校式がおこなわれている。旧制中学校時代は、当時政府の方針加えて学校所在地楠木正成出生地に近いことから、楠木正成と結びつけた忠君愛国教育おこなわれた校章については、当初六稜第八中学校を表す「八」をあしらったものであったが、大阪府八尾中学校現在の大阪府立八尾高等学校)と間違われやすいことから、1927年菊水紋をあしらった現在のもの変更された。 1902年には遠方在住生徒向けの寄宿舎併設されたが、1935年5月校舎火災にあったことを機に廃止されている。

※この「旧制・富田林中学校」の解説は、「大阪府立富田林中学校・高等学校」の解説の一部です。
「旧制・富田林中学校」を含む「大阪府立富田林中学校・高等学校」の記事については、「大阪府立富田林中学校・高等学校」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「旧制富田林中学校」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「旧制富田林中学校」の関連用語

旧制富田林中学校のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



旧制富田林中学校のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大阪府立富田林中学校・高等学校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS