旧制中学校時代とは? わかりやすく解説

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旧制中学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:24 UTC 版)

六甲学院中学校・高等学校」の記事における「旧制中学校時代」の解説

1937年昭和12年)- 財団法人六甲中学校設立される1938年昭和13年4月1日 - 木造校舎完成し、「六甲中学校」(旧制中学校)が開校入学資格尋常小学校卒業程度12歳以上、修業年限5年とする。 初代校長に武宮隼人就任。以下職員は15名でのスタート1期生135名が入学7月 - 阪神大水害により、校舎・校地被害を受ける1940年昭和15年)- 武道場完成1941年昭和16年)- 強歩大会 (53km) を開始鉄筋コンクリート造4階建ての本校舎完成1943年昭和18年4月1日 - 中等学校令施行により、この時の入学生から修業年限4年となる。 1944年昭和19年4月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、この時の4年生1941年昭和16年入学生)から修業年限4年前倒し適用されることとなる。 1945年昭和20年3月 - 修業年限4年施行前倒しにより、1940年昭和15年)に入学した5年生1941年昭和16年)に入学した4年生合同卒業式挙行4月 - 授業停止。ただし学徒勤労動員継続7月 - 神戸大空襲被害を受ける8月15日 - 終戦9月 - 授業再開1946年昭和21年4月 - 修業年限5年に戻る。

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旧制中学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:15 UTC 版)

大阪府立今宮高等学校」の記事における「旧制中学校時代」の解説

1906年3月9日文部省告示により、大阪府立今宮中学校大阪市南区馬渕350番地現在の浪速区恵美須西3丁目)に設置され同年4月より開校することが決定した開校の背景としては、当時大阪市内にあった3中学校過密となり、過密化解消のために大阪市内新設中学校増設が必要と判断されたことがあげられる当時大阪府日露戦争後財政難に陥っていたため、郡部にあった池田中学校廃校にした上で池田中学校かかっていた費用今宮中学校新設運営費用として回した開校準備作業新入生募集などを経て1906年4月22日第一回入学式実施された。 馬渕校舎は仮校舎扱いだった。現在地での校舎新築工事1907年よりおこなわれ1908年3月25日南区宮津町現在地)に移転している。 1933年には鉄筋コンクリート校舎竣工したレンガ階段に縦の線が強調され近代的なデザインだった。 太平洋戦争の影響により、1944年以降勤労動員おこなわれるようになった。また校庭を畑として開墾する作業実施された。校舎一部兵舎転用されている。 1945年3月13日第一次大阪大空襲では、柔剣道場食堂などを焼失する被害受けた1945年6月26日には今宮駅付近に落下した爆弾爆風により、校舎窓ガラス破損する被害受けた終戦直後1945年10月から11月6日にかけて、枕崎台風水害被災した大阪府市岡中学校現在の大阪府立市岡高等学校)の仮校舎として、一部教室市岡中学校貸し出した。 GHQ1946年6月27日プールその周辺校庭接収し進駐軍専用建物建設したプール校庭1951年10月19日返還されている。

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旧制中学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 21:11 UTC 版)

栃木県立真岡高等学校」の記事における「旧制中学校時代」の解説

1900年明治33年4月16日 - 「栃木縣第三中學校」として開校1901年明治34年3月 - 2階建ての本館落成5月18日 - 「栃木縣立真岡中學校」と改称5年制・生徒定員500名と定める。 11月30日 - 2階建て寄宿舎雨天体操場・食堂落成1902年明治35年5月10日 - 南校舎北校舎博物室を増築9月28日 - 大暴風により南北校舎寄宿舎全壊し本館大きく傾く。このため10月16日まで授業中断1903年明治36年4月16日 - 北校舎再建1904年明治37年1月16日 - 本館南校舎寄宿舎再建1905年明治38年3月29日 - 第1回卒業式挙行1908年明治41年11月3日 - 校旗制定1910年明治43年) - 校歌旧校歌)を制定1913年大正2年11月3日 - 「至誠の碑(至誠招魂碑)」が竣工1926年大正15年3月 - 寄宿舎廃止1934年昭和9年11月3日 - 校歌現校歌)を制定1947年昭和22年4月 - 学制改革により、第1学年募集停止

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