台湾への日本映画輸出とは? わかりやすく解説

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台湾への日本映画輸出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:04 UTC 版)

日本映画」の記事における「台湾への日本映画輸出」の解説

台湾への日本映画輸出は、1969年日本映画輸入台湾映画の製作に圧迫与えるという理由で、事実上輸入禁止措置がとられ、日本中国国交回復した1972年以来商売の道も閉ざされ1973年から全面的に禁止された。岡田茂映連会長以下、各映画会社首脳陣長年努力実り台湾行政院新聞局から映連に、1980年金馬奨日本映画出品要請があり、1980年当時映連加盟四社から各一本づつ、松竹砂の器』、東宝サンダカン八番娼館 望郷』、東映二百三高地』、日活先生のつうしんぼ』の4本が金馬奨招待作品として上映された。以降日中関係懸念され、濃すぎる日本色を抑えるためか、台湾製作者や一ジャーナリストの間で解禁反対の声もあったが、1982年岡田映連会長訪台した際に、宋行政院新聞局局長に「(1980年の)金馬奨出品した4作品だけでも特別に輸入解禁してほしい」と要請台湾側の外貨事情対日感情好転などの背景もあり、これが認められ1983年12月6日東京会館での記者会見岡田が「台湾15年ぶりに日本映画輸入門戸を開いた」と発表し1984年8月台湾行政院新聞局から正式に日本映画輸入解禁するとの報道された。これを祝して1985年2月新宿東映ホール1で日本初めての台湾映画祭が開催された。復活初年度1985年は、東映だけ『二百三高地』を『魔界転生』に入れ替え、他の三社1980年金馬奨出品した同じ作品台北高雄映画館一般公開され、日本映画輸出復活した台湾解禁主要国日本映画上映禁止するのは韓国だけとなった。これらは大人気となり、現地業者群がり大変な騒ぎになった。翌1986年前年の4本から6本に増え増加分は映連加盟四社抽選があり、抽選勝った東映松竹が2本づつになり、角川映画当時映連加盟していなかったが、『里見八犬伝』はこの東映増加入れられ1986年9月25日台湾公開され大ヒットした。Record Chinaは、大ヒットした日本映画の1本として『里見八犬伝』を挙げている。封切合わせ薬師丸ひろ子松坂慶子三船敏郎岡田茂東映社長映連会長らが訪台し、台湾でも大人気薬師丸熱烈歓迎を受け、大きな騒動になった当時台湾では最新日本アメリカビデオ見られる同伴喫茶大流行しており、台湾ヤング国際芸能によく通じていたという。岡田台湾の映画関係者輸入に関する取り決め事項調整行った。『海角七号 君想う、国境の南』の監督魏徳聖(ウェイ・ダーション)は「『里見八犬伝』は初め自分で2回チケット買って観た作品なんですよ。今でもストーリー登場人物鮮明に覚えています」などと話している。 1986年から1994年10月にかけては、行政院新聞局が6回の輸入割当本数告示行い合計201本の輸入割当許可したが、日本映画著作権料が跳ね上がり実際に輸入され日本映画この間52であった1994年10月以降全面的に日本映画輸入解禁されている。日本映画輸入自由化は、岡田茂映連会長永年努力大きといわれる1986年岡田台湾の映画関係者との折衝の際に、台湾側から日本映画輸出するのに、台湾の映画日本ではやってくれないではないか」と不満が出て急遽東映1987年2月14日から『スケバン刑事』との併映公開予定だった香港映画蜀山』(『蜀山奇傅 天空の剣』)を後ろにずらし、台湾側から要望があった『カンフーキッド/好小子』をこの入れ東映洋画系で公開した同作日本メジャー映画会社番線乗った初めての台湾映画である。また1995年4月台湾初のCATV、党営の「博新多媒體」(PHTV)が開局の際、これらの交渉岡田懇意になった同社社長・廖祥雄からの要請で、東映台(東映チャンネル)がディズニー台(ディズニー・チャンネル)などと共にチャンネル一つ選ばれた。台湾レンタルビデオCATVなどのメディア普及日本より早かった台湾1960年代から1970年代日本映画興行禁止していたため、台湾人には東映ヤクザ映画が新鮮で人気高かったという。東映台は三年供給契約東映過去映画850本とテレビドラマなど供給本数1600本に上った台湾CATV最初に放映され日本映画ドラマ東映作品であった東映これを機にアジア戦略強化し日本での二次利用三次利用一段落ついた旧作ビジネスアジア広げよう1996年夏に日本公開されたが配収が4億円と振るわなかった『That's カンニング! 史上最大の作戦?』の主演安室奈美恵1997年アジアコンサート開いて人気高めたことから香港同作上映したり、当時アジア衛星放送日本トレンディドラマ相次いで放送され、『Lie lie Lie』の出演者である豊川悦司鈴木保奈美らが知名度高めていたことから台湾と香港日本公開先駆け同作先行上映するなどしている。

※この「台湾への日本映画輸出」の解説は、「日本映画」の解説の一部です。
「台湾への日本映画輸出」を含む「日本映画」の記事については、「日本映画」の概要を参照ください。

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