初代 A31型(1988年-1994年)
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「日産・セフィーロ」の記事における「初代 A31型(1988年-1994年)」の解説
発売数週間前からの、中沢新一・和田勉・斉藤由貴・井上陽水・中村敦夫出演のティザー広告を経て1988年9月1日に発売。糸井重里考案の「くうねるあそぶ。」のキーワードが話題になった。当時S13型シルビアのオプションパッケージなどでしか採用例のなかったプロジェクターヘッドランプを標準で採用した斬新なフロントマスクが特徴的であった。流麗なデザインながらボディ形状はプレスドアを採用した4ドアセダンである。 駆動方式はFRで、1989年5月にモデルチェンジしたスカイライン、1989年1月にモデルチェンジしたローレルとは基本コンポーネンツを共有する姉妹車である。発売当初はDUET-SS装着車を除いてマニュアルトランスミッションが選択可能、エンジンは2LのRB20系エンジン3種(EGI付SOHCのE、EGI付DOHCのDE、EGI付DOHCターボのDET)を搭載。RB20DEは無鉛プレミアムガソリン仕様、RB20DETはR31スカイラインに搭載の180psから205psにパワーアップした仕様であった。 生産工場は、当時、姉妹車のスカイライン・ローレルなどを生産していた村山工場と、サニー・プレセアなどを生産していた座間工場であった。 初期のキャッチコピーは「33歳のセダン。」であり、当時のDINKs層、つまり20代から30代の男性を主なターゲットにした販売戦略が取られていた。ユーザーが自らの嗜好に沿ってエンジン、サスペンション、トランスミッション、内装生地、内装色、外装色などを組み合わせて注文できるセミオーダーメード方式「セフィーロ・コーディネーション」を導入。発売当時の組み合わせは810通りあった。組み合わせた仕様の詳細はセンターコンソールボックスのふたの内側に貼られた仕様書で確認できる。なお、メカニズムの仕様による価格差は存在しても、快適装備類に差異はほぼ存在しない。外装には特に表記されないもののエンジンとサスペンションの組み合わせを表現する名前があり、RB20E搭載車には「タウンライド」RB20DE搭載車は「ツーリング」RB20DET搭載車は「クルージング」、超音波センサー付き電子制御サスペンションDUET-SS装着車には「コンフォート」、4輪操舵システムHICAS-II装着車に「スポーツ」の名前がつけられていた。CMや広告写真にはHICAS-II装着のRB20DE搭載車「スポーツツーリング」が多く使われた。 発売当時のセフィーロ・コーディネーション搭載エンジンサスペンションRB20E(SOHC)RB20DE(DOHC)RB20DET(DOHCターボ)トランスミッション内装生地内装色外装色標準サスペンションタウンライド ツーリング クルージング 4速E-AT/5速MT ダンディ/エレガント/モダン オフブラック/ブラウン 9色(注文色2色) 電子制御DUET-SS装着コンフォートタウンライド コンフォートツーリング コンフォートクルージング 4速E-AT 4輪操舵HICAS-II装着スポーツタウンライド スポーツツーリング スポーツクルージング 4速E-AT/5速MT 1989年8月、スエード調人工皮革「エクセーヌ」を内装に採用した特別仕様車「エクセーヌセレクション」を、ラグジュアリーグレード「コンフォート」系に設定。 1990年1月、標準車のRB20DETターボエンジン搭載グレードのクルージングをベースとし、日産の特装車専門の子会社オーテックジャパンで、エアロパーツ、エンジンチューン、コノリーレザー製本革シート、オリジナル品の本革巻ステアリング、PIAA製アルミホイールなどチューニングを施した「オーテックバージョン」が追加設定され、1990年8月にマイナーチェンジされた中期型以降も引続き設定されていた。 しかしながら、直接的なライバル車であるトヨタ・マークII/チェイサー/クレスタの販売攻勢や、斬新で尚且つ奇抜なフロントフェイスの好みが分かれた事などもあり、大きな話題性の割に人気が低迷気味になり、1990年8月、最初のマイナーチェンジで中期型になったのを機に、前期型で設定されていたセミオーダーメード方式の「セフィーロ・コーディネーション」が廃止され、保守層を対象としヘッドランプをオーソドックスなフォグランプ内蔵異型角型2灯式ハロゲンタイプに改めたNA車専用の「Nシリーズ」なども追加された。R32型スカイラインGT-Rに搭載の4WDアテーサE-TSシステムとR32型スカイラインと共通の4輪マルチリンクサスペンションを移植しRB20DETと組み合わせた、国内向けセフィーロでは最初で最後の4WDモデル「アテーサクルージング」(後期ではSE-4)の追加も試みられた。 1991年8月、全車にサイドインパクトドアビーム採用等の安全対策の向上及び、断熱グリーンガラスを採用。運転席SRSエアバッグシステムのメーカーオプション設定。同時にタウンライドNとツーリングをベースにエクセーヌシート、シルバーポリッシュアルミロードホイールを特別装備したSVシリーズを発売。 1992年5月、再度のマイナーチェンジの後期型では2,500ccのRB25DE搭載モデルの追加があり、同時にRB20DE搭載車、RB25DE搭載車に5速ATが追加となる、他のエンジン搭載車は4速ATが継続。バンパーの大型化で3ナンバー化される。前回のマイナーチェンジで追加されたNシリーズが廃止され、全車プロジェクターヘッドランプに戻る。新グレードとして、本革/エクセーヌ混成シート、C33ローレルと同素材のマホガニー材の本木目ATフィニッシャー、スーパーファインコーティング、シルバーポリッシュアルミロードホイールを装備した「25SE-Mセレクション」を追加。 CM出演者は井上陽水から仲谷昇に変更。 姉妹車のスカイラインやローレルと共用する部品が多く、手軽にチューニングでき4ドアで実用性に優れることからチューニングカー、特にFRということもあってドリ車のベースとして一部に人気を博した。 海外輸出販売も好調で、これまでのローレルに代わり、東南アジア・オセアニアでは「セフィーロ」、中東とラテンアメリカでは「ローレルアルティマ」のネーミングで売られていた。日本国内仕様との違いは、フロント部のロゴマーク(海外向けは日産のロゴマーク)が異なるのとメーターが220km/h(日本向けは180km/h)対応であること。また、ローレルアルティマには専用のRB24Sエンジンが搭載されていた。 通常、日産の新規車種では車両型式の末尾は「0」から始まるようになっているが、「A30」は3代目グロリア(タテグロ)で既に使用されていたため「A31」から始まっている。 1994年7月、生産終了[出典無効]。在庫対応分のみの販売となる。 1994年8月、2代目と入れ替わる形で販売終了。販売終了前月までの新車登録台数の累計は14万1278台。 後期型 フロント リア(後期型) ラテンアメリカ向けローレルアルティマ チューニングされた前期型
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初代 A31型(1988年 - 1994年)
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「日産・セフィーロ」の記事における「初代 A31型(1988年 - 1994年)」の解説
発売数週間前からの、中沢新一・和田勉・斉藤由貴・井上陽水・中村敦夫出演のティザー広告を経て1988年9月1日に発売。糸井重里考案の「くうねるあそぶ。」のキーワードが話題になった。当時S13型シルビアのオプションパッケージなどでしか採用例のなかったプロジェクターヘッドランプを標準で採用した斬新なフロントマスクが特徴的であった。流麗なデザインながらボディ形状はプレスドアを採用した4ドアセダンである。 駆動方式はFRで、1989年5月にモデルチェンジしたスカイライン、1989年1月にモデルチェンジしたローレルとは基本コンポーネンツを共有する姉妹車である。発売当初はDUET-SS装着車を除いてマニュアルトランスミッションが選択可能、エンジンは2LのRB20系エンジン3種(EGI付SOHCのE、EGI付DOHCのDE、EGI付DOHCターボのDET)を搭載。RB20DEは無鉛プレミアムガソリン仕様、RB20DETはR31スカイラインに搭載の180psから205psにパワーアップした仕様であった。 生産工場は、当時、姉妹車のスカイライン・ローレルなどを生産していた村山工場と、サニー・プレセアなどを生産していた座間工場であった。 初期のキャッチコピーは「33歳のセダン。」であり、当時のDINKs層、つまり20代から30代の男性を主なターゲットにした販売戦略が取られていた。ユーザーが自らの嗜好に沿ってエンジン、サスペンション、トランスミッション、内装生地、内装色、外装色などを組み合わせて注文できるセミオーダーメード方式「セフィーロ・コーディネーション」を導入。発売当時の組み合わせは810通りあった。組み合わせた仕様の詳細はセンターコンソールボックスのふたの内側に貼られた仕様書で確認できる。なお、メカニズムの仕様による価格差は存在しても、快適装備類に差異はほぼ存在しない。外装には特に表記されないもののエンジンとサスペンションの組み合わせを表現する名前があり、RB20E搭載車には「タウンライド」RB20DE搭載車は「ツーリング」RB20DET搭載車は「クルージング」、超音波センサー付き電子制御サスペンションDUET-SS装着車には「コンフォート」、4輪操舵システムHICAS-II装着車に「スポーツ」の名前がつけられていた。CMや広告写真にはHICAS-II装着のRB20DE搭載車「スポーツツーリング」が多く使われた。 発売当時のセフィーロ・コーディネーション搭載エンジンサスペンションRB20E(SOHC)RB20DE(DOHC)RB20DET(DOHCターボ)トランスミッション内装生地内装色外装色標準サスペンションタウンライド ツーリング クルージング 4速E-AT/5速MT ダンディ/エレガント/モダン オフブラック/ブラウン 9色(注文色2色) 電子制御DUET-SS装着コンフォートタウンライド コンフォートツーリング コンフォートクルージング 4速E-AT 4輪操舵HICAS-II装着スポーツタウンライド スポーツツーリング スポーツクルージング 4速E-AT/5速MT 1989年8月、スエード調人工皮革「エクセーヌ」を内装に採用した特別仕様車「エクセーヌセレクション」を、ラグジュアリーグレード「コンフォート」系に設定。 1990年1月、標準車のRB20DETターボエンジン搭載グレードのクルージングをベースとし、日産の特装車専門の子会社オーテックジャパンで、エアロパーツ、エンジンチューン、コノリーレザー製本革シート、オリジナル品の本革巻ステアリング、PIAA製アルミホイールなどチューニングを施した「オーテックバージョン」が追加設定され、1990年8月にマイナーチェンジされた中期型以降も引続き設定されていた。 しかしながら、直接的なライバル車であるトヨタ・マークII/チェイサー/クレスタの販売攻勢や、斬新で尚且つ奇抜なフロントフェイスの好みが分かれた事などもあり、大きな話題性の割に人気が低迷気味になり、1990年8月、最初のマイナーチェンジで中期型になったのを機に、前期型で設定されていたセミオーダーメード方式の「セフィーロ・コーディネーション」が廃止され、保守層を対象としヘッドランプをオーソドックスなフォグランプ内蔵異型角型2灯式ハロゲンタイプに改めたNA車専用の「Nシリーズ」なども追加された。R32型スカイラインGT-Rに搭載の4WDアテーサE-TSシステムとR32型スカイラインと共通の4輪マルチリンクサスペンションを移植しRB20DETと組み合わせた、国内向けセフィーロでは最初で最後の4WDモデル「アテーサクルージング」(後期ではSE-4)の追加も試みられた。 1991年8月、全車にサイドインパクトドアビーム採用等の安全対策の向上及び、断熱グリーンガラスを採用。運転席SRSエアバッグシステムのメーカーオプション設定。同時にタウンライドNとツーリングをベースにエクセーヌシート、シルバーポリッシュアルミロードホイールを特別装備したSVシリーズを発売。 1992年5月、再度のマイナーチェンジの後期型では2,500ccのRB25DE搭載モデルの追加があり、同時にRB20DE搭載車、RB25DE搭載車に5速ATが追加となる、他のエンジン搭載車は4速ATが継続。バンパーの大型化で3ナンバー化される。前回のマイナーチェンジで追加されたNシリーズが廃止され、全車プロジェクターヘッドランプに戻る。新グレードとして、本革/エクセーヌ混成シート、C33ローレルと同素材のマホガニー材の本木目ATフィニッシャー、スーパーファインコーティング、シルバーポリッシュアルミロードホイールを装備した「25SE-Mセレクション」を追加。 CM出演者は井上陽水から仲谷昇に変更。 姉妹車のスカイラインやローレルと共用する部品が多く、手軽にチューニングでき4ドアで実用性に優れることからチューニングカー、特にFRということもあってドリ車のベースとして一部に人気を博した。 海外輸出販売も好調で、これまでのローレルに代わり、東南アジア・オセアニアでは「セフィーロ」、中東とラテンアメリカでは「ローレルアルティマ」のネーミングで売られていた。日本国内仕様との違いは、フロント部のロゴマーク(海外向けは日産のロゴマーク)が異なるのとメーターが220km/h(日本向けは180km/h)対応であること。また、ローレルアルティマには専用のRB24Sエンジンが搭載されていた。 通常、日産の新規車種では車両型式の末尾は「0」から始まるようになっているが、「A30」は3代目グロリア(タテグロ)で既に使用されていたため「A31」から始まっている。 1994年7月、生産終了[出典無効]。在庫対応分のみの販売となる。 1994年8月、2代目と入れ替わる形で販売終了。販売終了前月までの新車登録台数の累計は14万1278台。 後期型 フロント リア(後期型) ラテンアメリカ向けローレルアルティマ チューニングされた前期型
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