初代 A20/30型(1970年 ‐ 1977年)
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「トヨタ・セリカ」の記事における「初代 A20/30型(1970年 ‐ 1977年)」の解説
通称は「ダルマセリカ」または「ダルマ」。由来は、当時としては珍しく、ボディがだるまのようにふくよかなため。また、スラントノーズのフロント部を正面から見ると、ラップアラウンドタイプのメッキバンパーがダルマのひげ面に見えるからであると言われている。生産台数は41万1815台。 1970年12月に登場。前年の東京モーターショーに出品されたコンセプトカー・EX-1をベースとしている。登場時のボディタイプは独立したトランクルームを持つ2ドアハードトップクーペのみである。キャッチフレーズは「未来の国からやってきたセリカ」。同時に誕生したファミリーセダン「カリーナ」のシャシを利用したスペシャリティカー。アメリカで大成功したフォード・マスタングに倣って、好みのエンジン、変速機、内装を自由に選べる“フルチョイスシステム”と呼ばれるシステムを採用。エンジンはT型1,400㏄、2T型1,600㏄、2T-B型1,600㏄ツインキャブ。外装はET、LT、STの三種。内装はベーシック、デラックス、カスタム。変速機は4速フロア、5速フロア、3速ATから選択できた。ただし、ヤマハ製の2T-G型DOHCエンジンを搭載する最上級グレードの「1600GT」はフルチョイスの対象外で専用エンジン、専用内装、専用外装だった。 スポーティな外観から走りの良いGTの人気が高く、特に現在では雑誌などの旧車特集でA20/30型が特集される際は、ほとんどの割合でGTが登場する。 1972年8月のマイナーチェンジではリアコンビランプの方向指示器を独立させたうえにアンバーに変更したツーピースタイプとなる。燃料タンクの位置がトランク床下から後席背後に変更となり、給油口の位置もリアガーニッシュパネル裏(左右尾灯間)からリアピラーに変更された。モータースポーツ用ベース車としてサスペンションを強化、装備を簡略化、タイヤを185/70-13ラジアルを標準装備とした1600GTV(VはVICTORY=勝利の意味)を追加した。 1973年4月には、前年のモーターショーに出品されたコンセプトカー「SV-1」を元にテールゲート(バックドア)を備えた3ドアリフトバック(LB)が登場している。LBの燃料タンク位置は、初期のクーペと同じトランク床下であるため給油口はリアの中央ガーニッシュパネル裏にあり、エンブレムを引いて蓋を開ける。従来からのクーペには2,000 cc(18R型)エンジン搭載車を追加。LBでは1,600 cc OHV/1,600 cc DOHC/2,000 cc SOHC/2,000 cc DOHCの計4機種のエンジンが設定され、とりわけ高性能版の2,000 cc DOHCを積んだLB2000GTの人気が高かったが、カタログ性能はともかくエンジン・ミッションが重くフケ上がりも鈍く、スポーティさ、軽快さでは1600GTに軍配が上がった。また2,000㏄EFI登載車はGTに負けない走りをした。 1974年1月のマイナーチェンジで、クーペのフロントノーズのデザインがエンジンフードの長いLBの物に統一される。クーペに2000GT追加。1600GTのホイールキャップが廃止された。 1975年には昭和50年排出ガス規制への対策に伴い、兄弟車カリーナと共に、シリーズ全体のマイナーチェンジを実施。この時、主として排ガス対策機器を納めるため、ボディサイズは全長25 mm、全幅10 mm、ホイールベース70 mm、フロントトレッド50 mmとそれぞれ拡大され、室内も従来のイメージを残しつつ、ダッシュボードが大きく変更された。またLBのテールランプは縦型5連→縦型3連に、一部グレードには衝撃吸収バンパーが設定されている。その一方で1400 OHVモデルや1600 DOHCモデルは廃止された。 1976年には2,000 cc DOHC搭載モデルが昭和51年度排出ガス規制適合車となる。 モデル末期の1977年には特別仕様車として、「ブラックセリカ」が登場した。なお、最終型の時点で型式がA30型に統一されている。 クーペ2200GT, USA リフトバック2000GT リア(リフトバック、後期型)
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