初代 710型系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:09 UTC 版)
「日産・バイオレット」の記事における「初代 710型系」の解説
1974年 - マレーシアの「スランゴール・グランプリ」にて「バイオレットターボ」が総合優勝を飾る。 1977年 - 第12回サザンクロスラリーに直列4気筒DOHC・16バルブの競技用エンジン、LZ18型を搭載する2ドアハードトップがラウノ・アルトーネンのドライブで参戦、総合優勝を飾る。この車両は現在、日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。
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初代 710型系(1973年-1977年)
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「日産・バイオレット」の記事における「初代 710型系(1973年-1977年)」の解説
1973年1月に登場。キャッチコピーは“もう、なにかが始まっている。“しなやかなクルマ”(発売当初)、“伝統のメカニズム”。 ボディタイプは当初4ドアセダン、2ドアセダン、2ドアハードトップの3種類。サスペンションは、前輪にはマクファーソンストラット式独立懸架が全車に採用され、後輪は、スポーツグレードのSSSにのみ510型ブルーバードと同様のセミトレーリングアーム式独立懸架、その他の車種はリーフ式車軸懸架が採用された。ラリーでは510型ブルーバード譲りのスポーツグレード・SSS(スリーエス)が活躍していた。510型ブルーバードが直線的でクリーンな外観だったのに対し、710型バイオレットは複雑な曲面で構成されたファストバックスタイルだったため販売は低迷し、後に4ドアセダンは、ノッチバックスタイルへ大幅なマイナーチェンジを行う。後に5ドアのライトバンが追加された。タクシー仕様車では、710型バイオレットの4ドアセダン(5人乗り・3速コラム・前席ベンチシート、L16型1,600ccLPG)が、510型ブルーバードのタクシー仕様車の実質的な後継車種として発売され(上級クラスへ移行した610型ブルーバードUにはタクシー仕様車が設定されていなかった)、後にエンジンは、昭和50・51年排ガス規制に絡んでL18型1,800ccLPGに変更されている。なお、当時右側通行であった沖縄向けに左ハンドルのタクシー仕様車もごく少数生産された。1976年7月に、810型ブルーバードにタクシー仕様車が設定された後も1977年5月頃まで販売が継続されていた。 1973年1月 - 販売開始。 1974年9月 - マイナーチェンジ。3点シートベルト、半ドア警告灯を標準装備。一部グレードにトランクオープナー標準装備。セダンのリヤコンビネーションランプを変更。ハードトップのリヤガーニッシュ意匠変更。フロントグリル色調をシルバー調からガンメタ調に変更。コストダウンの為、GL以上の一体成型ドアトリム廃止。同時にCMキャラクターとして藤岡弘(現・藤岡弘、)を起用。 1975年9月 - 1600SSS-Eが昭和50年排出ガス規制適合(A-P710型)。 10月 - 残りの全車種が昭和50年排出ガス規制適合。 1976年2月 - マイナーチェンジ。タクシーユーザーから要望の多かった後方視界を向上するため4ドアセダンがノッチバックスタイルに変更、型式も711型になった。1600ccが昭和51年排ガス規制に適合。2ドアセダンは廃止。 5月 - 1400ccが51年規制に適合 1977年5月 - 販売終了。A10型に移行。
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