初代 310型系(1959年 - 1963年)
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「日産・ブルーバード」の記事における「初代 310型系(1959年 - 1963年)」の解説
発売当時の名称は「ダットサン・ブルーバード」。ダットサン系の本格的な量産型乗用車としては最初の前輪独立懸架採用車となり、在来ダットサンの固定軸に比べて格段に乗り心地や操縦性を改善した。ボディタイプは4ドアセダンのみ。グレード構成は、1.0LはSTD、1.2LはSTDとDX。スタイリングは当時日産の社内デザイナーの佐藤章蔵によるもので、世界的トレンドにはやや遅れたデザインではあったが、全体に中庸を得たスタイルで機能性が高く、市場の反応は良好だった。セミモノコックボディと低床式ラダーフレームとを組合せて軽量化と強度確保を図る。主要部品の多くはダットサントラックとの共用で、十分な信頼性を備えていた。乗車定員は当初4名であったが、1959年10月に後部座席寸法を3人がけ可能に変更して5名となった。エンジンは先代のダットサン・セダン210型から踏襲された「C1型」(水冷 直列4気筒 OHV 988cc 34PS / 4,400rpm)を主力に設定。後にストロークを再拡大し、1189cc ( 43PS / 4,400rpm ) とした「E1型」も設定(P311 / WP311型)した。いずれも技術提携先のイギリス・BMC社製オースチンB系エンジンをベースとしたストローク変更のバリエーションである。1.2LクラスのE1型エンジン設定の理由は、輸出主戦場と目されたアメリカ合衆国で当時成功を収めていた同クラスのフォルクスワーゲン・ビートルに対抗した性能確保が目的であった。当時の日産の主力車種としてモータリゼーションの潮流に与し、4年間に渡るモデルライフを通して良好な販売実績を示した。韓国においては、セナラ自動車(現・韓国GM)によりノックダウン生産され、「セナラ」の車名で販売されていた。 1959年8月 - 発売。 1960年7月 - 日本初となるエステートワゴン追加。 1960年10月 - マイナーチェンジで出力増強が図られ、1.0L C1型43馬力、E1型1.2Lは55PS/4,800rpmに変更され、311型となった。同時にトランスミッションが日本初のフルシンクロメッシュとなり、フロントグリルにはこれを示すエンブレムが与えられた。 1961年2月 - 日本初の女性仕様車である、「ファンシーデラックス」が追加。ウインカー作動時に鳴るオルゴール、カーテン、サンバイザー組み込みのバニティーミラー、傘立て、ハイヒール立てなど36点もの専用装備があった。 1961年8月 - マイナーチェンジでフロントグリル、テールランプ、メーターパネルの意匠が変更され、312型となった。この型よりトランクリッドの開閉がキー操作で開き、閉じるとロックされる構造になる。 1962年4月 - 「サキソマット」のオートクラッチ付車を設定。 1962年9月 - マイナーチェンジでもフロントグリル、テールランプの意匠、フロントスタビライザーが変更。 1962年12月 - フロントシートにセパレートシートを設定。 1963年 - 「サファリラリー」に参戦するが、2台とも完走とはならなかった。 初代の生産台数は約21万台。 WP310型エステートワゴン WP312型エステートワゴン(サイドビュー)
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