冠学園高校とは? わかりやすく解説

冠学園高校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 09:27 UTC 版)

おはようKジロー」の記事における「冠学園高校」の解説

千葉県にある私立高校偏差値高くスポーツが盛んで、数々大会で優秀な成績修めているが、過去起きた暴力事件野球部巻き込まれ各方面から批判をされた為、良くも悪くも注目される高校野球関わるのを恐れ廃部にして以降野球部存在していなかった。 岡本 慶司郎おかもと けいじろう) 主人公通称「Kジロー」。 冠学園野球部が無いことを知らず入学したため、自分野球部作りはじめる。性格前向き大らかで、一度決めた目標向けて全力取り組み達成させる強い意思実行力を持つ。野球選手として一年生ながら超高校級実力持ち主で、走・攻・守全てにおいて図抜けプレイ見せる。守備位置は主に二塁手だが、捕手そつなくこなし、甲子園では投手としても登板打順四番甲子園通算成績1年夏のみで打率7割2分7厘、11本塁打19打点記録。 「Kジロー」とは、本名漢字を書くのが面倒なために略して書いているうちに、あだ名として定着したもの。プロ野球チーム千葉チキンズ』で、マスコット着ぐるみ着用して球場パフォーマンスを行うアルバイト実際にバイト料は貰っていないのでボランティア扱い)をしている。母子家庭(Kジローの父は既に亡くなっている。最終巻でその記述がある)で、母親がもし「父親の事が知られる大変な事になる」と心配していたが、その事については最後まで言及されないままだった。前述通り卓越した実力持ち主だが、冠学園入学するまでは無名存在だった。野球部員などもそのこと不思議に思うが、理由については結局明かされずに終わった『ドカベン ドリームトーナメント編』再登場捕手として、新球団新潟ドルフィンズ入団する阿久根伸也あくね しんや) 元陸上部野球部員唯一人3年生陸上部では、100m高校記録を持つほどのスプリンターだった。Kジローからの『100m走勝ったら、野球部入部してほしい』という申し出僅差退けるが、翌日に『俺はスパイクで、Kジロー運動靴だった。だから俺の負けだ』と潔く負け認め野球部入部する。この阿久根入部は、後の部員たちの入部決し少なくはない影響与えた県大会から甲子園大会まで一貫して一番・中堅手守り、その脚力生かした驚異的な守備範囲ベースランニングは、相手チームはもちろん、冠学園ナインですら驚かせるのだった飛島剣とびしま けん) 元バレーボール部2年生レシーブ名手として活躍していたが、上背が無いことから前衛活躍できずに悩んでいたところをKジロースカウトされ野球部入部する。そのKジロー目に狂い無く千葉県大会で遊撃手甲子園大会では左翼手として、数々ファインプレー連発した。また、悪球打ちが得意。 沢村徹さわむら とおる) 元テニス部2年生。Kジローとのテニス勝負敗れたため、野球部入部する守備位置は、俵星との併用投手または右翼手直球速さでは俵星に適わない考え変化球活路見出す千葉県大会でフォークボールのみを武器としたが、甲子園大会ではカーブ・シュートも自在に操ったまた、打撃に関して非凡なセンス持っており、テニス仕込みバックハンド打法特注の短いバットで、千葉県大会から甲子園大会まで通して、Kジロー後ろ五番張り続けた蔵田守くらた まもる) Kジロー同学年新入生で、数少ない野球経験者中学校では野球部エースだったが、ヤクザ息子という特殊な家庭環境のために友人ができずに、野球を楽しむことができなかった。そのため、高校では野球はしないつもりだったが、Kジロー人柄に惚れ、自ら野球部入部申し出る守備位置は、千葉県大会で一塁手甲子園大会では遊撃手超高校級のKジロー陰に隠れがちだが、蔵田自身もかなりレベルの高い選手であり、Kジローに次ぐ活躍見せる。 岩神巌男(いわがみ いわお) 元相撲部2年生。Kジローとの相撲勝負敗れたため、野球部入部する守備位置捕手相撲で鍛えた強い足腰は、バッティング生かされただけでなく、捕手としてホームベース守り抜いた野球素人だが、リード送球なども無難にこなし、縁の下の力持ちとしてチーム支え続けた花子という心臓病患っている妹がおり、非常に大事にしている。 明智俊介(あけち しゅんすけ) 元東大部。2年生東大合格することが目的の「東大部」に所属していたが、Kジロー人間性興味持ち野球部入部した身体能力高くは無いが、野球入門書見て、バッティング・スローイングをマスターする器用さを持つ。その「教科書通り」のフォームは、景山監督から『フォームだけなら、Kジローより上』と称賛された。東大目指す秀才だけあり、その頭の回転速さと鋭い観察力は、チーム危機何度も救った守備位置千葉県大会で左翼手甲子園大会では一塁手大前田 英五郎おおまえだ えいごろう) Kジローと同じクラス新入生野球経験者だが、蔵田違い補欠中学3年間で一度試合に出ることができなかったため、野球部の無い冠学園入学した。Kジローから野球部入部誘われても、本当入りたいのに拒否するようなひねくれ者だが、野球好きな気持ち本物であり、入部後はKジロー負けじと特訓積み重ねたまた、調子に乗る意外な力を発揮するタイプであり、意外な活躍をしばしば見せた守備位置三塁手だが、甲子園ではマウンド経験し三振奪っている。 実家資産家であり、庭に専用のバッティングケージを作ってしまうほど。学校まで車で送迎されるほどだが、他の生徒はばかって校門過ぎたところで乗り降りする奥ゆかしさ持ち合わせている。 『ドカベン ドリームトーナメント編』で、広島東洋カープ選手として再登場した。 俵星 玄介たわらぼげんすけ) 元陸上部2年生陸上部では、やり投選手だった。喧嘩騒ぎ起こして休学していたが、復学明けに、阿久根野球部入部したことを知り、Kジロー助けられた恩もあり野球部入部する守備位置は、沢村との併用投手または右翼手。元々やり投選手としては全国レベル選手だったため、野球慣れるに従い剛速球投手として開花していく。喧嘩早く問題起こしがちな性格だが、阿久根やKジローには弱い。 『ドカベン ドリームトーナメント編』で、中日ドラゴンズ投手として再登場した。 秋礼太(あき れいた) 学年不明甲子園大会から10人目選手として入部した自称超能力者」。超能力とはいっても、をやませたり投手の手元を狂わせて四球出塁したりと、真偽判断しらいようなものばかり。逆に野球知らないと言うが、随所に鋭い観察眼見せたりファインプレー行ったりなど、こちらも謎が多い。飄々とした言動で、チーム中でも不思議な存在峯村りえ(みねむら りえ) 野球部マネージャー元手芸部。間違えて部室入ってきたKジロー一目ぼれし、野球部入部する部員が9人そろう前には、男のフリをして練習試合参加したこともあるが、部員そろった後はマネージャー専念しチームメイト時に励まし時に叱咤して支え続けた景山絵里かげやま えり) 野球部の監督。Kジロークラス担任でもある。プロ野球千葉チキンズ」(作品中架空球団ロッテ・オリオンズ千葉移転決めた3年前書かれた。フランチャイズは「船橋球場」)の、景山監督一人娘父親譲り気性激しさ頑固さは、采配にもあらわれるほど。アメリカ野球留学したこともあり、選手としても監督としても並みの男以上の実力見せる。 潮空海(うしお くうかいバスケット部の主将バスケット大会で残りゼロ秒で逆転シュート放ったことから「ゼロの男」(今でいうブザービーター)と呼ばれミスターとしての校長教頭評価も高い。Kジローから野球部スカウトされたが、これを断固拒否し阿久根などの転部者を『信念曲げる、軟弱者』と非難したその後、Kジロー人柄見直したことやマネージャーのりえに惚れていたこともあり、一時野球部入部に傾くが、バスケットボールへの思い捨てられずに入部はしなかった。しかし、入部断った後は、一転して校内一のKジロー野球部理解者となり、千葉県大会から甲子園大会までの全試合に、手製応援旗持ち応援かけつけた

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