公認会計士による監査の普及とは? わかりやすく解説

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公認会計士による監査の普及

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 14:21 UTC 版)

監査の歴史」の記事における「公認会計士による監査の普及」の解説

イギリス 民間においては株主による監査いわゆる自由監査が行われていたが、専門家ではない者による知識の不足や、会社費用監査をするために独立性問題となっていた。イギリスではシティ・オブ・グラスゴー銀行大規模な破綻粉飾決算1878年)により、監査人独立性問題とされて法改正きっかけにもなった。会計教育監査含まれるようになり、勅許会計士のフランシス・ピクスレー(英語版)は初の監査実務書『Accountancy - constructive and recording accountancy』(1881年)を出版した職業会計士による監査一般化し会社法1907年)で監査役独立性貸借対照表開示義務などが定められた。さらに1927年損益計算書公開対象となり、1947年会計監査役には職業会計士限定となった1967年には、世界で初め全ての株式会社財務諸表開示監査義務づけられた。監査基準については1970年代から各会計士協会指針出し1976年監査実務委員会APC)が設立され監査基準設定を行う。APC1991年監査審議会APB)となり、監査基準書の設定行ったドイツ 大統領令(1931年)で、一定上の規模会社は、経済監査士または監査会社から決算書監査人選任することが義務づけられ、これが現在の決算監査人原型となった株式法改正1937年)では、監査役会取締役会監督選解任得た1950年代経営組織法で監査役会従業員参加する制度ができ、ドイツ経済監査協会設立された。経済監査士法(1961年)では会計検査経済監査士と監査会社専業となり、1965年の大改正をへて、1980年代から1990年代株式法商法改正によって現行の監査制度整備された。 フランス 1907年には証券発行財務開示求められるようになったが、1920年代から1930年代にかけて金融不祥事が続く。対策として1936年監査役協会設立され会社法改正1937年)で監査役独立明文化監査手続きの明示任期延長罰則などが定められた。1966年会社法改正監査制度改正され会計担当監査役正式に会計監査役と呼ばれることになった監査役独立性強化され1969年全国会計監査協会設立された。 アメリカ アメリカでは19世紀末まで会計報告法的規制がなかったが、鉄道会社相次ぐ破産1907年恐慌により、専門家である公認会計士による監査必要性が高まる。アメリカ工業大国化と証券市場の上企業影響もあって会計監査増加し、ロバート・ハイスター・モンゴメリー(英語版)によってアメリカ初の監査論『Auditing Theory and Practice』(1912年)も書かれた。ウォール街世界最大金融センターになるが、他方では狂騒の20年代とも呼ばれる投機的状況会計責任会計士批判されるようになり、経済学者ウィリアム・リプリー(英語版)が「株主知る権利」(1926年)という記事企業不完全な情報開示監査批判した1929年大恐慌起きると、政府調査委員会組織された。検事のフェルディナンド・ペコラ(英語版)が委員長務め公聴会モルガン商会英語版)、ナショナル・シティ銀行英語版)、チェース・ナショナル銀行英語版)などの企業の不正が明らかとなったこうした状況改善投資家保護のために証券法1933年)や証券取引所法(1934年)が施行されて、証券取引委員会SEC)によって公認会計士法的監査確立した同年にはアメリカ会計士協会英語版)(AIA、のちのAICPA)が企業会計監査指針公表し監査基準となる会計原則作成にはAIAアメリカ会計学学会が関わった。AIAは、SECから証券市場監督権限与えられ監査における問題点指摘する役割得たAIA監査手続委員会CAP)を設立し米国監査手続書(SAP)の公表始める。しかしCAP特定の会計事務所優遇する姿勢批判され監査基準常務委員会(ASEC)に替わり、SAPを集めた監査基準書(SAS)が公表された。ASECもさらに批判されたため、1978年監査基準委員会ASBとなった日本 日本において企業会計を扱う専門家必要性は、1908年発覚した日本製糖汚職事件帳簿操作贈賄金を捻出したとされた)に際してイギリス人株主駐日大使クロード・マクドナルド)が提起したことで認識されたといわれている。 1927年計理士会計専門国家資格として創設され、その業務は「計理士計理士称号用いて会計に関する検査調査鑑定証明計算整理又は立案為すことを業とするものとす」(計理士第1条)とされて、「検査」「証明」が盛り込まれた。しかし、戦前における計理士は、「計算」をその業務中心としており(この当時はまだ税理士資格存在せず計理士にはそれらの業務含まれていた)、監査系の仕事占め割合10%にも満たず監査中心とする計理士事務所ごくわずかであった会計監査主たる業務とする「検査計理士」を新たに創設する法改正運動計理士側からなされたが、太平洋戦争が終わるまで実現することはなかった。 1948年計理士法にかわって公認会計士法公布されることで、財務諸表監査資格独占業務とする公認会計士誕生した計理士継続して監査業務は可能であったが、証券取引法企業義務づけられた監査証明公認会計士のみが可能となった計理士資格1967年3月廃止)。1950年には、監査基準発表されるその後財務諸表監査において不祥事発生するたびに、それにあわせて財務諸表監査制度はより厳格なものへと変化していった。1965年山陽特殊製鋼倒産事件における粉飾決算などの影響から個人事務所による財務諸表監査限界明らかになり、監査法人制度導入された。

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