公認会計士として
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1976年公認会計士登録。1992年監査法人朝日新和会計社代表社員。1999年朝日監査法人理事長。アーサー・アンダーセン日本代表兼務を経て、2004年あずさ監査法人理事長。同年あずさ監査法人会長。2009年三井住友フィナンシャルグループ取締役、三井住友銀行取締役、2011年学校法人東京経済大学理事長。2014年サン・ライフメンバーズ監査役。2015年オカムラ監査役。2019年サン・ライフホールディング取締役。
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公認会計士として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 01:29 UTC 版)
住友銀行退職後、今までの経験を生かせる仕事として会計や税務に着目し、一念発起して公認会計士を目指すことにした。1952年(昭和27年)10月、公認会計士登録。それに伴い、尾澤会計事務所を開設し、所長に就任した。1959年(昭和34年)12月、税理士登録。それに伴い、税理士としての業務を開始した。 1969年(昭和44年)7月、65歳にして監査法人朝日会計社を起ち上げ、代表社員に名を連ね、初代理事長に就任した。住友銀行での前歴を生かし、白水会加盟社など住友グループに属する企業に狙いを定め、積極的に顧客獲得に動いた。その結果、住友銀行、住友商事、住友金属鉱山、住友化学など、多数の大手企業をクライアントに抱えることになり、瞬く間に大手会計事務所の一角を占めるに至った。その結果、監査法人朝日会計社は「住友監査法人」と揶揄されるほどであった。また、日本国外の業務については、当時「ビッグ8」と呼ばれていた世界八大会計事務所の一角を占めるアーサー・ヤングと提携することにした。後年、監査法人朝日会計社は他の会計事務所との合併を繰り返して有限責任あずさ監査法人となり、「ビッグ4」と呼ばれる世界四大会計事務所の一つであるKPMGのメンバーファームとなった。 また、さまざまな公職も歴任した。認可法人の一つである日本公認会計士協会においては、1976年(昭和51年)に会長に就任することになり、1979年(昭和54年)に至るまで務めた。その後、1997年(平成8年)に亡くなった。
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