公認会計士への転身
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阪神の打撃投手へ転身後もNPB他球団での現役復帰を模索していたため、2002年11月26日には、12球団合同トライアウトに参加。しかし、他球団からのオファーを受けるまでに至らなかったため、プロ野球界から離れた。 プロ野球界から離れた当初は、友人と共にバーを経営したが、2年後に経営から撤退。その後は、単独で飲食店を経営することを目標に、アルバイトとしてホテルの調理場に勤務した。「元プロ野球選手」という経歴を伏せながらの勤務だったが、世間を知らない身であることを痛感したことから、他の業界への転職を模索。やがて、「高校時代に身に付けた簿記の資格や知識を生かせる」という理由で、当時受験資格を特に設けていなかった公認会計士試験への挑戦を決意した。ただし、実務経験を積める会計事務所に採用されなかったため、時給の高い他業種の仕事を転々としながら試験勉強を続けた。 2007年からは、試験勉強のかたわら、公認会計士の予備校であるTACに入社。公認会計士講座の広報活動や、日吉校(横浜市港北区)の受付業務に携わった。その一方で、2009年に短答式の試験へ初めて合格したことを皮切りに、9回目の受験で2013年に短答式・論文式とも試験に合格した。奥村によれば、プロ野球選手出身の公認会計士は、日本初とされる。 公認会計士の登録に実務要件が設けられていることから、2014年からは東京都の優成監査法人に勤務。実務要件を満たした2017年夏の登録を機に、株式会社・税理士法人オフィス921のスーパーバイザーを務めている。同年7月13日に自身初の著書『高卒元プロ野球選手が公認会計士になった!』を洋泉社から刊行したり、同年12月9日に阪神の地元民放局・MBSラジオで放送された『with Tigers MBSベースボールパーク』(2017年度ナイターオフ版)の特集「鮮やかな転身!アスリートのセカンドキャリアを考える」にゲストで出演したりするなど、登録後は「日本のプロ野球出身者で初めての公認会計士」として各種メディアへ相次いで登場。その一方で、日本公認会計士協会の準会員でもあるため、2015年からは同協会準会員会東京分会の幹事も務めている。 また、2015年6月に母校の土岐商で講演したことをきっかけに、学生野球資格回復研修制度を通じて資格を回復させることを決意。「資格を回復するのための制度を身をもって知りたい」という理由で、同年12月の資格回復研修会に参加したところ、翌2016年2月2日付で資格回復の適性を日本学生野球協会から認定された。この認定によって、土岐商をはじめ、協会に加盟する大学・高校の硬式野球部で学生の部員を指導できるようになった。 さらに、2017年の公認会計士登録を機に、一般社団法人アスリートデュアルキャリア推進機構の代表理事へ就任。同法人の活動を通じて、「デュアルキャリア」(「人としてのキャリア形成」と「アスリートとしてのキャリア形成」の両立に取り組むライフスタイル)の普及・啓発や、スポーツ関連のコンサルティングにも関わる。2020年4月の時点では、現役の野球・サッカー選手など、20名以上のアスリートのサポートに携わっているという 2019年6月には、上記の活動と並行しながら、株式会社スポカチを東京都新宿区で創業。2020年には、一般社団法人日本障がい者サッカー連盟の監事や、全国野球振興会の監事に就任している。
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