入門から新入幕までとは? わかりやすく解説

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入門から新入幕まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:06 UTC 版)

栃煌山雄一郎」の記事における「入門から新入幕まで」の解説

大学進学検討していたが、高校卒業直前には2005年1月場所に澤井同時に初土俵を踏む。入門当初おっつけ摺り足課題があり、稽古改善重ねていった。そうして初土俵から勝ち越し続け同年11月場所では7戦全勝三段目優勝果たし、翌2006年1月場所に幕下昇進し、西幕下3枚目の位置まで番付上げた同年5月場所では5勝2敗という好成績挙げたものの、幕下陥落する力士少なかったために場所後の十両昇進はならなかった。翌7月場所でも東幕下筆頭位置で6勝1敗という好成績挙げて初土俵から1回負け越すことなく、翌9月場所において新十両へ昇進した初土俵から所要10場所での十両昇進貴花田朝青龍露鵬時天空と並ぶ史上9位タイスピード記録となったまた、十両昇進同時に四股名本名の「影山」から「栃煌山」へと改めた。「栃煌山」という四股名は、春日野親方母親相談して決めた春日野部屋多く力士がつける「」、そこから煌めいて欲しいとの思い込めて「煌」、そして本名影山から「山」をとり、「栃煌山となった。実は栃煌山自身は、記者会見当日まで四股名知らされておらず、「記者の人たちに“四股名、どう思いますか?”“どういう由来ですか?”と言われたのですが、その時初め聞いたので返答困りました」という。新十両昇進会見では、色紙に「横綱になる」と記している。 新十両となった2006年9月場所では9勝6敗と勝ち越し、西十両2枚目の位置まで大きく番付上げた2007年1月場所では10勝5敗の好成績挙げ霜鳥豊響との優勝決定戦進出した優勝決定戦豊響制して十両優勝はならなかったものの、翌3月場所において新入幕果たした初土俵から13場所での新入幕旭富士貴花田武蔵丸豊真将続き史上9位タイスピード記録となった

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入門から新入幕まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:21 UTC 版)

豪栄道豪太郎」の記事における「入門から新入幕まで」の解説

高校3年生時に日本大学への推薦入学内々定したが、澤井角界入り望んでいた。結果として日大への進学辞退したが、これによって直前控えていた国民体育大会相撲競技に臨むために稽古をする場所がなくなった豪栄道稽古相手務まる選手日大ぐらいにしかいなかった)。そんな時、埼玉栄高校相撲部山田道紀監督先輩である境川親方(元小結両国)に相談し部屋力士稽古相手引き受けることになる。幕下相手稽古をすると、澤井の方が圧倒的に強かったというが、そのまま境川部屋入門し角界入り2005年1月場所に初土俵踏み前相撲デビューする三学期に入門してはいるが、埼玉栄高校卒業している。 序ノ口から三段目までをそれぞれ1場所で通過し幕下2場所目となる2005年11月場所では7戦全勝成績挙げて初の幕下優勝果たした2006年1月場所では西幕下2枚目の位置まで番付上げたものの3勝4敗と入門してから初の負け越し経験した。翌3月場所も3勝4敗と連続して負け越した澤井は「勝ちたい気持ちが強すぎて、固くなって自分相撲取れなくなった」と立合い変化して相手捌く小手先相撲封じ以降関取昇進まで立合い正面から当たれようになったことで攻めスピード上がった新十両昇進では栃煌山先を越されたものの、2006年9月場所において西幕下6目の位置で7戦全勝成績挙げて2回目幕下優勝果たして、翌11月場所において新十両へ昇進し同時に四股名本名の「澤井」から「豪栄道」へと改名した。「豪」は本名の豪太郎師匠境川豪章の名前から、「栄」は埼玉栄高から、「道」相撲道と埼玉栄高相撲部監督山田道紀の名前から1字ずつ採り、「力強く栄え相撲道に精進する」意を込めた新十両となった2006年11月場所と翌2007年1月場所は連続して勝ち越し安定した実力示したひと足先に栃煌山入幕した翌3月場所では、初日から7連勝して十両優勝争い名乗りを上げ千秋楽には里山敗れ惜しくも十両優勝とはならなかったが11勝4敗の好成績挙げた。東十両3枚目へと番付上げた5月場所では6勝9敗と負け越すが、翌7月場所では西十両5目の位置12勝3敗で優勝決定戦進出岩木山旭天鵬との巴戦となった優勝決定戦敗れ十両優勝逃したものの、翌9月場所新入幕確実なものとした。

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入門から新入幕まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:12 UTC 版)

遠藤聖大」の記事における「入門から新入幕まで」の解説

アマチュア横綱獲得最後にアマチュア相撲試合全て終わり高校教師プロ入りといった複数選択肢から、同郷出身日大先輩でもある追手風親方(元幕内大翔山)が師匠務め追手風部屋入門することを選んだ2013年2月14日記者会見行って入門正式表明、記者会見では日大出身者唯一横綱となった石川県出身輪島目標語った同月20日日本相撲協会理事会幕下付出入門承認され3月2日行われた新弟子検査も無事合格。場所直前3月3日には、前日焼き肉たらふくご馳走になった上に弁当三つ平らげたことで朝から苦し思いをした中、部屋力士達との申し合い20勝2敗と圧倒し、さらに食べ過ぎによる体調不良があったとはいえ7080%の力で稽古しました」と豪語してみせた。同年3月場所本名の「遠藤」を四股名として初土俵踏んだ初土俵場所は7戦全勝優勝所要1場所での新十両目標としていたが、3番相撲6日目)で祥鳳突き落とし敗れてプロ黒星となった。初黒星喫した直後は「気持ち切り替えが大事」と語っていたが、さらに4番相撲続けて敗れたため、幕下優勝も1場所での新十両もともになくなったその後2番とも白星デビュー場所は5勝2敗で終えた2013年5月場所は東幕下3枚目で5勝2敗の成績終えた5月場所後に行われた7月場所番付編成会議では新十両昇進決まったしかしながら本人師匠追手風親方も「5月場所成績では(十両への)昇進難しいだろう」と考え7月場所での新十両昇進予想していなかった。翌場所から蒼国来番付復帰決まっていたため成績幕下陥落確実な3人に加えて1人多く落とす必要があったが、不公平がないよう単純計算で東14目相当の力士を3人とも幕下降格させたためこのような事態となった。このことから、当初関取となってから四股名付け予定であったものを準備不足理由見送り7月場所本名のままで土俵上がることになった新十両迎えた7月場所4日目徳真鵬敗れたものの、終始他を寄せ付けない圧倒的な強さ13日目に栃乃若破り千秋楽待たず2012年1月場所の千代大龍以来となる新十両での優勝決め千秋楽勝って14勝1敗で終えた新十両での14勝は1950年9月場所米川(後の横綱朝潮以来史上2人目、実に63年ぶりだった。9月場所では新入幕史上4人目となる十両1場所通過幕下付出から史上最速所要3場所での新入幕だった。勝ち続けている中で流れ変えないために四股名はまだ付けず本名入幕することになった

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