光明寺 (太宰府市)とは? わかりやすく解説

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光明寺 (太宰府市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 05:48 UTC 版)

光明寺

境内
所在地 福岡県太宰府市宰府2-16-1
位置 北緯33度31分6.17秒 東経130度32分3.03秒 / 北緯33.5183806度 東経130.5341750度 / 33.5183806; 130.5341750 (光明禅寺)座標: 北緯33度31分6.17秒 東経130度32分3.03秒 / 北緯33.5183806度 東経130.5341750度 / 33.5183806; 130.5341750 (光明禅寺)
山号 神護山
宗派 臨済宗東福寺派
本尊 薬師如来
創建年 1273年文永10年)
開基 鉄牛円心
正式名 神護山 光明寺
別称 苔寺
法人番号 3290005006572
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光明寺(こうみょうじ)は、福岡県太宰府市にある臨済宗東福寺派に属する禅宗寺院。山号は神護山(じんごさん)。光明禅寺の名で呼ばれることも多い。2018年より境内の改修に伴い拝観を停止中。

歴史

1273年文永10年)、円爾(聖一国師)の門下にあった鉄牛円心によって建立され開山となった[1]江戸時代には太宰府天満宮の緇素(しそ・天満宮に仕える人々とその家族)の菩提寺として、1616年(元和2年)に再興されて、1856年(安政3年)7月再営された天満宮の結縁寺である。

境内

太宰府天満宮の参道の一の鳥居を右に曲がるとつきあたりに山門、鐘楼が見える。光明禅寺は別名「苔寺」とも呼ばれ、その名のとおり庭園は碧く苔むし、前庭を七・五・三の十五石で光の字に配石された仏光石庭、裏庭は、青苔は大陸と島、白砂は水と大海を現し、長汀曲浦の見事な線で画出された枯山水の一滴海庭となっている。また、秋には紅葉が映え、一段と風情が楽しめる。

土佐勤皇党・山本忠亮の墓所と記されるが、実際は光蓮寺に山本の墓所はある。

・参考文献 平尾道雄著『陸援隊始末記 中岡慎太郎』中公文庫、昭和52年

文化財

県指定名勝

  • 光明寺庭園

市指定文化財

  • 光明寺本堂(附 大方玄関、知客寮、棟札)

市指定天然記念物

  • 光明寺のチシャノキ

アクセス

出典

  1. ^ 古都太宰府保存協会『太宰府紀行』海鳥社、2011年12月10日、98-99頁。ISBN 978-4874158333 



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