人物と概要
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モニーク・キャノンは、1967年10月27日、オーストラリアのニューサウスウェールズ・フォーブズにある、羊を飼い小麦を育てる農場で生まれた。農場の娘として兄と共に、幼少期から大自然と触れ合い、のびのびとした環境で育った。 両親は身近にあるものをDIYする能力にも長けており、創作の教養を身につけていく。 18歳で高校を卒業し、美術の教師になる夢を叶えるために、シドニーで美術教員大学へ通うことを検討するものの、将来の方向性の違いを感じ、母親からのすすめでグラフィックデザインの学校へ入学。学位を取って卒業する。 卒業後は、グラフィックデザインの広告の仕事をこなしていたが、本来やりたいことではなかったという想いがあり、退職してクイーンズランドのサーファーズパラダイスへ引っ越す。 23歳でゴールドコーストに引っ越した後、ウェイトレスの仕事に就く。そこで初めて、アーティストとして店のボードを制作する仕事を、飲食店のオーナーから請け負う。 すべてが初体験であるため、素材の選定、作り込み方などを、自ら苦心して考案しながら納品したところ、オーナーに喜ばれ、アーティストとして仕事を全うする幸せを実感する。この時、父親がモニーク・キャノンの制作したボードの写真からビジネスカードを作ってくれた。そのカードにつけたビジネスネームが「モニークチョークアート(Monique's Chalk Art)」だった。 その後、両親に協力してもらい、市販されているあらゆる種類のアート用具を活用して、さまざまな実験を試み、最終的に、現在のチョークアートの技法に通ずる、ブラックボードペイントのスタイルを確立する。 その後、数年にわたって技術を磨き、鮮やかな色合いのチョークアート作品を産み出すことが可能となり、映画会社のMovie World Australiaからの大型発注や、オーストラリアをはじめ、日本、シンガポール、ドイツ、デンマークを中心に、その他の多くの国からの発注を受けるようになりチョークアーティストとして活躍することになる。
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人物と概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 19:56 UTC 版)
小さい頃からラジオから流れる音楽に合わせて一緒に歌うことが大好きで、ホイットニー・ヒューストンやビヨンセの曲をよく歌っていたが、とても恥ずかしがり屋だったため、なかなか家族以外の人前では歌えなかったところ、母に背中を押され9歳からボイスレッスンに通い始める。 13歳になるとフィリピンの歌唱コンテストに母と一緒に出場するようになり 、母が最前席で見守る中、初めてコンテストで歌った楽曲はクリスティーナ・アギレラの「The Voice Within」だった。 14歳の時にボイスレッスンコーチからの提案で米歌手・ビヨンセの『Listen』を練習曲にしたことが、のちに、本人の最大の特徴であり代名詞となる「規格外 」あるいは「異次元 」などと称される、3Fから5A の高音域にまで到達するという2オクターブ超 のハイトーンボイス習得の契機となり 、その後、高校時代に所属した「エンターテインメントクラブ」での部活動を通して、将来はプロ歌手になることを決意する。 19歳の時に初めてプロの歌唱コンテストに出場し、並み居るプロを相手にヴォーカリスト・パフォーマンス最優秀賞を受賞 、その際に歌ったWhitney Houstonの「one moment in time」は、自身にとって今でも特別な曲となった 。その後、アメリカやカタールなど国外の歌唱コンテストにも挑戦し続け、各国の音楽祭で数々の賞を獲得するに至り、フィリピンの有名作曲家兼音楽プロデューサーで、かつ、当時Beverlyのボイストレーナーでもあったベニー・サトルノが、日本のMISIAの育て親であり、AI[要曖昧さ回避]、加藤ミリヤ、リリコ[要曖昧さ回避]、華原朋美などを手がけた株式会社ユニバーソウル代表取締役社長で音楽プロデューサーの与田春生にデモ音源を渡しBeverlyを紹介、さらに与田を介しエイベックス株式会社代表取締役社長CEOで音楽プロデューサーの松浦勝人が、そのハイトーンボイスを高く評価し、即契約となり日本での活動を開始することとなる 。 元々、日本のカルチャーに興味があり 、日本に行くことは『人生のやりたいことリスト』の1つだった。子供の頃から日本のアニメもよく観ていて、『ドラえもん』『スラムダンク』『幽☆遊☆白書』『NARUTO』『ONE PIECE』『カードキャプターさくら』『FAIRY TAIL』などが好きだった。これらのアニメなどを通して日本の音楽にも興味を持ち、特に大黒摩季の歌う『スラムダンク』エンディング・テーマ曲『あなただけ見つめてる』が大好きでインターネットで歌詞を探して何度も歌っていた。 フィリピンで影響を受けたアーティストは、 ”ポップスタープリンセス”と呼ばれる国民的歌手の「サラ・ヘロニモ(Sarah Geronimo)」で、日本においては、尊敬するディーヴァとして宇多田ヒカルとMISIAなどを挙げ、MISIAの「Everything」カヴァーのスタジオレコーディング映像をYouTubeで公開もしている。なお、来日後に知ったSuperflyや、男性では清水翔太もよく聴いていて 、フィリピンではスローバラードが主体だったが、日本特有のUP BEATなPOPへの変化、対応は、自身にとって勉強になると同時に良いチャレンジになったと語る。 好きな食べ物は、エビ料理や、甘い物全般、苦手な食べ物は、お寿司や刺身などの生の魚や、オクラ、納豆、とろろなどネバネバしたもの 。 夢は、日本の歌姫のアイコンになって 、NHK紅白歌合戦などの有名な音楽番組に出演し 、日本武道館など大きなホールを回る全国ツアー や東京ドームや京セラドームなどのドーム公演を実現し 、いつの日か母国フィリピンや世界の大舞台でワンマン公演をすること、そして永遠に歌うこと、人生が終わるときまで、歌手として生きていること。 座右の銘は、「Be Positive.(いつも前向きに。)」と「"Thank you."(ありがとうを伝えることを忘れない。)」。 24時間歌とともに生きる決意と愛を込めるという意味の「Just Lsten..! 」を自身のキャッチコピーとしている。 英語、タガログ語、日本語の3か国語を話す 。
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