ワ州連合軍
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ワ州連合軍(ワしゅうれんごうぐん、簡体字: 佤邦联合军; 繁体字: 佤邦聯合軍; 拼音: Wǎbāng Liánhéjūn、ビルマ語: ဝပြည် သွေးစည်းညီညွတ်ရေး တပ်မတော်、ワ語: Kru' Naing' Rob Rom' Hak Tiex Praog、英語: United Wa State Army、略称: UWSA)は、ミャンマーのワ州(ワ自治管区)を支配するワ州連合党の軍事部門である。
- 1 ワ州連合軍とは
- 2 ワ州連合軍の概要
ワ州連合軍
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1949年、ワ族の居住地に流れ込んだ中国国民党軍がケシの栽培を始めたとされる(異説もあり)が、後にビルマ共産党(BCP)に取って代わられた。中華人民共和国の強力な影響下のもと、ワ族はビルマ共産党の事実上の支配下でケシの栽培に従事した。その後、インド系の上層部と、ワ族・コーカン族を中心とする実力を担保する下部組織とで内部対立が深刻化、下部組織が実力行使で上層部を一斉逮捕・追放した事から1989年に同共産党は瓦解した(詳細はビルマ共産党を参照)。 反乱後、下部組織は分裂し、その一派がワ州連合軍(英語版)(UWSA)を組織した。 1996年、クン・サの停戦合意に伴いモン・タイ軍(英語版)(MTA)が投降・武装解除し、ワ軍が最大の勢力となった。兵力は2万人を数え、パンカン(英語版)に司令部を置き、その南のモンポー(英語版)も根拠地である。また、1990年代にミャンマー=タイ国境で活動していた非ビルマ共産党系の民兵組織「ワ民族会議」を吸収合併した事から、MTAの支配地域に隣接する地域に飛び地状に支配地域を保有する。この「飛び地」との連絡を巡って、UWSAと投降前のMTA、そしてミャンマー国軍は激しく衝突した。 BCP同様、背後では中華人民共和国が影響力を行使していると考えられており、装備には中国製の物が多い。制服・制帽なども中国製、もしくは中国製のものを模倣した国産品を使用している。UWSA同様、中国から支援を受けているとされるカチン族のカチン独立軍やコーカン族の全国ミャンマー民主同盟軍でも同様の傾向が見られる(これらに対し、カレン族のカレン民族解放軍やシャン族の旧シャン州軍(英語版)諸派(北軍(英語版)、南軍(英語版))は旧西側製の装備が用いられている)。 最高司令官はパオ・ユーチャン(英語版)(英: Bao Youxiang、鮑有祥)。指導者にはクン・サの側近であったウェイ・シューカン(英語版)(第171軍区司令官)、ウェイ・シューインらがいる。将兵の多くはワ族だが、コーカン族やシャン族など他の少数民族も参加している。なお、他の民兵組織同様、ミャンマー政府に帰属して生活しているワ族も存在する。 同軍はワ族及びワ州の自治権確保を要求している。実際においても、1990年代後半にキン・ニュン首相によって、ミャンマー政府との停戦が実現後も武装解除は行われず、同軍の支配地域は実質的にUWSAの自治が行なわれている。なお、現在のミャンマーの行政区分でワ州と呼ばれる州は存在しないものの(シャン州の一部)、支配地域はミャンマー政府公認の自治区域となっている。 2012年1月、ミャンマー政府との和平に原則合意した。その一方で、武装解除や兵力削減には応じておらず、ミャンマー政府が発表した「国境警備隊」計画にも反対の姿勢を取った。 現在、ミャンマー政府が親中路線を転換しつつある事から、中国からUWSAに対する軍事援助が再び活発化している。その中には、PTL-02自走式対戦車砲やMi-17ヘリコプター(TY-90(英語版)地対空ミサイルを搭載)等、重装備の供与も含まれているという。また、中国国内でUWSAの将兵が、中国人民解放軍から96式122mm榴弾砲(旧ソ連製D-30の中国版。122mmは旧東側諸国の標準口径の一つ)やHJ-8対戦車ミサイルを用いた軍事教練を受けたとも言われている。
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