アラカン・ロヒンギャ・イスラム戦線とは? わかりやすく解説

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アラカン・ロヒンギャ・イスラム戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 09:59 UTC 版)

アラカン・ロヒンギャ・イスラム戦線
活動期間 1986年 (1986)–1998年 (1998)[1]
活動目的 ロヒンギャ 民族主義
指導者 ヌルル・イスラーム
活動地域 ラカイン州, ミャンマー
前身 ロヒンギャ愛国戦線
ロヒンギャ連帯機構
後継

アラカン・ロヒンギャ民族機構

  • ロヒンギャ民族軍
敵対勢力 ミャンマー軍
戦闘 ミャンマー内戦
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アラカン・ロヒンギャ・イスラム戦線(アラカン・ロヒンギャ・イスラムせんせん、Arakan Rohingya Islamic Front:ARIF)は、ミャンマーラカイン州で活動していた反政府武装組織である。

活動

1986年から1987年にかけて、ロヒンギャの武装組織であるロヒンギャ連帯機構(RSO)、ロヒンギャ愛国戦線(RPF)がともに分裂し、、元RSO議長・ヌルル・イスラーム英語版率いるRSOの一派とシャビル・フセインという人物が率いるRPFの一派が同盟を組んで、アラカン・ロヒンギャ・イスラム戦線(ARIF)を結成し、ヌルル・イスラームが議長に就任した[2]

ARIFの目的は、過去のロヒンギャの武装組織と同様、アラカン北部にロヒンギャの自治区を設立することで、ヌルル・イスラムは、「(武装勢力の)多国籍」連合と「連邦主義に基づく繁栄した福祉国家、そこでは平和が永遠に続く」と述べた。そのためにARIFは他の民主派政党や少数民族武装勢力との協力を模索した[2]

しかし8888民主化運動後の混乱期、1980年代後半から1990年代前半にかけて、ARIFはRSOとともにミャンマー・バングラデシュ国境地帯で軍事訓練を開始した。この動きはミャンマー軍(以下、国軍)の警戒心を呼び起こし、1991年から1992年にかけて、国軍はARIF、RSO掃討を目的とした「清潔で美しい国作戦」を発動、約25万人のロヒンギャ難民がバングラデシュに流出する事態となった[3]。この後、ARIFは軍事活動を縮小し、政治ロビー活動に専心した[4]

1995年、ロヒンギャの武装勢力を結集すべくARIFとRSOが再合併してロヒンギャ民族同盟(Rohingya National Organisation:RNO)を結成し、翌1996年、RNOはロヒンギャ民族評議会英語版(RNC)とアラカン・ロヒンギャ民族機構英語版(ARNO)の2つの組織に発展解消された[5]

脚注

注釈


出典

  1. ^ Bangladesh Extremist Islamist Consolidation”. by Bertil Lintner. 2012年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ21 October 2012閲覧。
  2. ^ a b Smith 2019, p. 49.
  3. ^ Smith 2019, pp. 55-56.
  4. ^ Smith 2019, p. 61.
  5. ^ Smith 2019, p. 63.

参考文献

関連項目




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