ダヌ人民解放軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/07 13:21 UTC 版)
ダヌ人民解放軍 | |
---|---|
ဓနုပြည်သူ့လွတ်မြောက်ရေးတပ် ミャンマー内戦に参加 |
|
![]()
DPLAの旗
|
|
活動期間 | 2022年8月7日[1] – 現在 |
活動地域 | ミャンマー・シャン州ダヌ自治区周辺 |
上位組織 | ダヌ人民解放戦線 |
関連勢力 |
|
敵対勢力 |
|
戦闘 |
ダヌ人民解放軍(ダヌじんみんかいほうぐん、ビルマ語: ဓနုပြည်သူ့လွတ်မြောက်ရေးတပ်、英語: Danu People's Liberation Arny、略称:DPLA)はダヌ自治区で結成された、ダヌ族を主体とする武装勢力である。DPLAはダヌ人民解放戦線(Danu People’s Liberation Front: DPLF)の軍事部門である。
歴史
背景
2008年憲法に基づき、ダヌ自治区はシャン州内の5つの自治区の1つに指定された。他の自治区や自治管区とは異なり、ダヌ自治区には2021年ミャンマークーデター以前、武装勢力が存在していなかった。クーデター当初、ダヌ族の若者は軍事政権の厳しい弾圧に直面し、これに反対する非暴力デモに参加した。しかしながら、非暴力抵抗の限界が明らかになり、武装闘争へと転化した。これによりダヌ自治区内に国民防衛隊(PDF)が結成された。2023年8月年現在[update]、この地域では軍事政権に反対する少なくとも8つのPDFが活動している。武装闘争が激しさを増すにつれ、PDFに対処するためにミャンマー軍は独自の民兵を結成させている。ユワンガン郡区の区長によると、ダヌ民族民主党や地元企業がこれらの民兵の支援にあたっている[2]。2022年、ダヌ自治区行政評議会議長ウー・アーカーリンが民兵を組織してダヌ軍(Danu Army)を設立する計画があったが、住民の反対により計画は頓挫した[3]。
DPLF/DPLA結成
DPLFは2022年8月7日に結成され、2023年7月29日にその存在が公表された。DPLFはタアン民族解放軍の支配地域で訓練を受けたとされる[4]。2023年のDPLF結成公表直後、DPLFに関連しているとして住民が4人が拘束された[5]。
DPLAはダヌ自治区やシャン州北部を中心に活動しており、タアン民族解放軍と共に1027作戦の第1段階および第2段階に参加した。DPLAは2024年11月30日以降、ヤッサウッ郡区・チャウクーでミャンマー軍と激しく衝突した。戦闘中にDPLA兵士7人が、めまい・嘔吐などの症状を訴え、DPLAはミャンマー軍が化学兵器を使用したと主張した[6][7]。
出典
- ^ “Military Council Directs Compilation of Non-CDM Personnel List for Possible Volunteer Force Formation in Southern Shan State”. Mizzima (Burma News International). (2023年8月15日)
- ^ Alan Sai (2023年8月24日). “As Danu Armed Forces Emerge, Escalated Ethnic Conflict is Likely to increase” (英語). SHAN
- ^ “ဓနုပြည်သူ့လွတ်မြောက်ရေးတပ်ဦးဖွဲ့စည်းကြောင်းအသိပေး” (ビルマ語). People’s Spring. (2023年7月30日)
- ^ Ko Oo (2023年9月12日). “နွေဦးတော်လှန်ရေး၊ ဓနုဒေသနှင့် ဓနုလက်နက်ကိုင်တပ်ဖွဲ့” (ビルマ語). The Irrawaddy
- ^ “Four People Arrested, Accused of Connection to Danu Army” (英語). SHAN. (2023年8月7日)
- ^ “Myanmar Junta Forces Suffer Heavy Casualties in Shan State Fighting”. The Irrawaddy. (2024年12月11日)
- ^ “Fierce clashes between Myanmar junta forces and DPLA leave over 50 soldiers dead in southern Shan State”. Mizzima. (2024年12月12日)
- ダヌ人民解放軍のページへのリンク