ラジオ人として
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本人曰く「声が地味」で、新人の頃は「宴会などでは面白いのに、放送は面白くない」とよく言われたという。法律相談の番組や小唄の番組などに回され、1968年には番組宣伝部に回されそうになったこともあった。その後にラジオ番組『トヨタ・ミュージック・パトロール』のパーソナリティのオーディションに合格して同番組を担当し「初めて自分のペースで話せる番組を持てた」と思ったという。 大沢が勤務していた時期のTBSはラジオ・テレビ兼営局で、定年退職後の2001年4月1日からTBSテレビ・TBSラジオによる分社体制へ移行したが、本人は在職中から「テレビは嫌い」と公言。その一方でラジオ番組への愛情やこだわりは強く、「クリーニング店がBGMとして流したり、鼻歌交じりに聴いたりする『友達』のようなものなので、(番組のパーソナリティを任されるからには)どこから聴き始めても気にならない存在じゃないといけない」とも語っている。 テレビでは生涯唯一の冠番組に当たる『ゆうYOUサンデー』は、毎週日曜日の午後12時から55分間にわたって全国ネット向けに放送されていたが、ラジオパーソナリティとしての人気とは裏腹にわずか半年で終了。終了後は、『アッコ・古舘のゆうYOUサンデー』を経て、『アッコにおまかせ!』が35年以上にわたって放送されている。本人曰く、「『ゆうYOUサンデー』はワイドショーの走りのような生放送番組で、コーナーの時間帯が完全に構成されていたので、他人から強制されながら原稿を読むことが嫌いな自分の性に合わなかった」とのことで、「アナウンサー人生の汚点」とまで述べている。 『ゆうYOUサンデー』終了翌年の1986年(昭和61年)には、TBSのアナウンサーでありながら、テレビ朝日で9月14日に放送の『題名のない音楽会』にゲスト出演。番組の関係者が(当時ラジオとテレビの兼営局であった)TBSの現職アナウンサーにもかかわらずテレビ番組にほとんど登場しない大沢の面白さをラジオ番組で知ったことによるもので、出演に際してはラジオ番組風の演出が為された。民放局の正社員であるアナウンサーが他局の番組に出演することも、ラジオ風の番組をテレビで放送することも異例であったが、本人は自分の顔が視聴者に知られることで生じるデメリットを『ゆうYOUサンデー』の担当期間中から痛感。「テレビに出ると顔は有名になるけど、街を歩くだけで(周囲の人々に顔を)振り返られても、チンパンジーと同じような(珍しさによる)ものでしかない。振り返られたところで(アナウンサーとして)尊敬されているわけではないので、勘違いするな」という戒めの言葉を、部下のアナウンサーへ頻繁に投げ掛けていたという。フリーアナウンサーに転身してからも、「顔を出してまでテレビ番組へ出演しない」という方針を貫いているが、雑誌では2015年4月10日発売の『クロワッサン』、書籍では『開局70周年 TBSラジオ公式読本』(2021年にリトルモアから刊行)に「顔出し」を伴うインタビューへ応じた模様が掲載されている。 TBSラジオでは、放送中に同局のコールサインである“JOKR”をコールすることが(放送開始・終了時を除いて)ほとんどないが、大沢は『ゆうゆうワイド』の番組内の時報の直前に「まもなく時報になります。ちょっとお手元の時計、合っているかどうか御確かめ下さい。TBSラジオです。J・O・K・R」と、唯一コールサインを読み上げる(尺により言わない時もあるが)ことで知られる。大沢はTBS社員を経て現在はフリーであり、放送局に属さない出演者がコールサインを読み上げることも異例であるといえる。また、このときにTBSラジオの周波数や出力の案内もすることがある。 『ゆうゆうワイド』では高齢者に対する配慮から、問い合わせ先の電話番号などを読み上げるときは、とてもゆっくり、2度3度と繰り返す。また、高齢者には難しく思われそうな英単語なども、放送では極力使用を避けている。いずれも「自分のポリシー」によるとのことだが、「本当のスケベ話(『お色気大賞』でのトークなど)は、(根が)真面目だからこそ出来る」との考えも持ち合わせている。 『ゆうゆうワイド』などでの共演者やリスナーからは「悠里さん」、番組やラジオCMでたびたび共演している毒蝮三太夫からは「悠里ちゃん」と呼ばれている。『ゆうゆうワイド』シリーズで長年にわたって大沢のアシスタントを務めているさこみちよは、大沢について「心のどこかで師匠のようだと思ってるかもしれない」とのことで、公の場で「大沢さん」と呼んでいる。その一方で、「喋り声は極めてハト派だが、顔は思いっきりタカ派の大沢悠里」と言われているほか、『ゆうゆうワイド』の裏番組に当たるラジオの生ワイド番組で長らくパーソナリティを務めていた高田文夫から「下駄にモミアゲ」という表現で風貌を揶揄されたことがある。 TBSラジオで1986年4月からレギュラーで放送されてきた『ゆうゆうワイド』を、平日版のスタートから36年目(2022年3月末)で終了させることを決めたのは、「今後いつ調子(体調)が悪くなるかも分からないので、(自分と同じ年代の高齢者が自動車を運転することへの不安や限界などから)運転免許証を(所轄の都道府県公安委員会へ自主的に)返納するように、(リスナーやスタッフの)皆さんから心配されないうちにマイクをTBSに返納したい」という自身の意向による。2022年1月8日に土曜日版で終了を初めて発表した際には、「月 - 金曜日に『ゆうゆうワイド』で4時間半(の生放送への出演)を30年続けた節目で(ラジオパーソナリティを)辞めようとしたら、(平日版のリスナーなどから)『ぜひ、また、ちょっとでもいいから(続けて欲しい)』という(要望が相次いだ)ので、土曜日の午後に(週1回のペースで生放送の)パーソナリティを務めることになった。(このような経緯で)土曜日版を始めてから(2022年の)3月で丸6年、(TBSへ入社してからの)アナウンサー生活が58年になる。もっとも、内心では『(ラジオパーソナリティとしての)賞味期限がそろそろ切れ始めている』と感じていて、(パーソナリティとしての)自分に引導を渡すことを1年前(2021年)からずっと考えていた。お世辞でも『まだ(パーソナリティを)できるじゃないか』と言われているうちに(パーソナリティを)辞めた方が良いとの結論に至ったので、その旨をTBSラジオに伝えたところ(『ゆうゆうワイド』シリーズ終了の)了解を得られた」と述べている。さらに、同日の放送終了後に『スポーツニッポン』から電話で取材を受けた際に、「フェードアウト」(土曜日版の終了に伴うアナウンスやナレーションの第一線からの勇退)の意向があることを表明。東京でオリンピックが最初に開かれた1964年にTBSへ入社したことを背景に、2020東京オリンピックの開催をもってアナウンサー生活に終止符を打つことを開催決定の時点(2013年9月)で決めていたことや、(新型コロナウイルス感染症流行の影響による1年延期を経ての開催を控えていた)2021年4月の時点で『ゆうゆうワイド』シリーズの終了をTBSラジオに申し入れていたことも明かした。
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